蜂蜜ロジック。
七瀬愁



 declare

高嶺の花。難攻不落。玉砕覚悟。

そんな今の状況を表す四字熟語が、浮かんでは消えてゆく。
学園の王子様。
なんて、時代錯誤な称号さえ、目の前のこの人には、これ以上ないくらいぴったりと似合う。
綺麗で爽やかな笑顔を浮かべる、眉目秀麗の代名詞みたいな同級生。
そんな彼に想いをどうしても伝えたくて、呼び出した人気のない放課後は、西日の降り注ぐ体育館の裏側だった。

「どうしたの。俺に用って」

呼び出しておきながら、しばらくの間俯いたり顔を上げたりと忙しなく動くくせに黙りこくっていた私に、山崎くんが微笑する。
委員会が一緒と言うだけの間柄でしかないのに、急かさずに待っていてくれるその優しさに感激する反面、余計に口籠もってしまう自分がいて。
――情けない。
ふわりと笑う、たったそれだけの所作に、どうしてこんなに目を惹き付けられるんだろ。

「…え、と、あのね」
「うん?」

私からすれば、生まれて始めての告白。
緊張からか、浮遊感に足元がおぼつかない。
でも、今更引ける筈もなくて。
そろりと唇を一舐めして、覚悟を決める。

「あのね、私、山崎くんのこと…」

か細くなる声に比例して、縮こまる身体。
搾り出そうとする勇気は、ともすれば、しゃぼん玉みたいに霧散しそうなほど脆弱で頼りなくて。
情けなさに、涙まで浮かびそうになる。
じゃり、と山崎くんの履いた上履きの底で、砂が動く。
思わず、はっとして、顔を上げた。
はっきりとしない私の態度に苛立って、そのまま黙って立ち去ってしまうんじゃないか、とさえ思った。

けれど顔を上げた私を待っていたのは、真っ直ぐに視線を向けてくる山崎くんの涼しげな瞳で。
心臓がきゅっと縮こまって、それから不意を突いたように、どくん、と大きく鳴った。

あんなに繰り返した心の中のリハーサルは、本人を目の前にすれば何の役にも立たなくて、考えていた台詞の一行すら思い出せない。
漸く口から出てきたのは、好きななんだ、なんていう在り来たりな言葉でしかなかった。

「好きって。俺のこと?」
「う、うん」

わかりきった答えを問う相手に、はぐらかされてるんだろうか、という疑心暗鬼に陥る。
考え込むように僅かに顔を傾けて、伏せられる眼差し。
縁取る長い睫毛にさえ、見惚れてしまいそうになった。

覚悟は出来てる。
振られて当たり前だってわかってる。
同じ委員会だからって気を使っているのなら、そんな物は必要ない。
誰しもが彼に告白して、その度に涼しい顔で「ごめんね」なんて爽やかに言われるんだから、私なんか尚更だってちゃんと覚悟してる。

でもどうしても、言いたかった。
それが山崎くんには迷惑なだけって、わかっていても、知って欲しくて仕方なかった。
今までみたいに委員会の端からそっと見つめてるだけなんて、もう、無理なんだ。

大丈夫。
言えただけ、私って偉いと言ってやりたい。
ついでに頭も撫でてやりたい。
次から委員会がある度に気まずくなるかもしれないけど、でも大丈夫、委員会の終了まで後、半年もないしきっと――平気。

答えがわかっていても、それが山崎くんの口から直接言われると思えば、頭にまで響くような心音はちっとも静かにならなかった。

しばらくの居心地悪い無言の後、山崎くんが息を吸い込む。

息苦しい。
世界に二人だけになったように、他の音が遮断される。

聞こえるのは、自分の鼓動と。

相手の息遣いだけ。


――息が、止まりそう。



目を強く瞑り、異常な速さで鼓動する心音が聞こえていたらどうしよう、と今更のように思う。
ああ、もう、苦しいってば。
どうして、さっさと言ってくれないの。
――ごめんねって。

「山さ…」
「ふうん」


耐え切れなくなって名前を呼ぼうとした時、それを遮るようにして漏れたのは、山崎くんの満足そうな頷きだった。

「、ぇ…あ、の?」
「何?」

ゆっくりと持ち上げられる口角。
気付けばやたらと距離が縮まっていて、心臓が早鐘の如く鳴り響く。
そんなに背が高いわけでもないのに、やけに上から見下ろされているかのような威圧感。

作り上げられた笑みはいつもと同じように綺麗なものなのに、どこか違って見えるのはこんな近くで話したことがないせいだろうか。
端正な唇が、ほんの少しだけ歪んで。
…笑う。
ちがう。嗤って、る?

「あ、あの、」
「うん」
「…え?」

何を言われたのか分からなくて、私はきょとんと相手を見返した。

「それって、俺に付き合って欲しいって言ってるんだよね?」

先程の笑みはもうどこにも残っていなくて、いつもの見る柔らかな眼差しが私を捉える。
何か、話の方向がおかしな事になっているような気がする。

「違うの?」
首を傾げる相手に、慌てて否定をする為に顔を左右に強く振った。


「そう。良かった」

良かった?何が?
そう聞き返す間もなく、山崎くんはそのまま話し続けた。

「俺もね鈴川さんのこと、好きなんだ」

何でもない事のようにそう言って、もう一度微笑んで。
いつのまにか後ずさっていた私の背に当たる、ごつごつとして硬い壁の感触。
コンクリートの上に散った、砂粒の音が白い上靴の下で踊り、それはまるで私の今の状況を示しているようで、すぐに理解は出来なかった。


予想外の答えに、思わず固まる。
眩し過ぎる太陽の下、いつ倒れてもおかしくない暑さ。
でもこの混乱と動揺は、太陽より眩しい山崎くんの言動によるものだ。
頭の中で、もう一度反芻する。俺も鈴川さんのこと好きだから。
頭の中で反芻した台詞はそれでも理解が及ばなくて、依然として涼しげな顔をした相手を、ただただ見上げるしかなくって。
え、と。これって。どういうこと?

「大丈夫?」
「――だ、いじょうぶ…、ってあの、」
「じゃあよろしくね」

軽く上がる口元。
余裕満載の表情。
芝居がかったその台詞さえ、似合いすぎて怖くなる。

こんなに暑いのに、汗だって浮かぶことなく、涼風の中に立っているようにしか見えない相手。

「……嘘」
「嘘じゃなくて。それとも――もしかして、冗談だったの?」

零れ落ちそうな優美な笑顔が、ほんの少し悲しげに歪められ私を見つめる。

「そ…っ、そんなわけ、ない…っ」

「そっか。良かった、冗談だったら俺、泣くかもしれない」

どこまでも高いの空の下、放つ台詞とは裏腹に悪戯めいた笑みを浮かべた山崎くんが私の手を取る。

「よろしくね」

強く握り締められた手だけが、現実なんだと私に囁きかける。
「え、あ、う……はい」
「本当に大丈夫?」

何度目かのその台詞を口にして、目を細める片想い――だったはずの相手。

「う、うん」

夢見心地で握られた手の感触にぼうってしてる私に、更に距離を詰めてくる。

「あ、あの……っ」
「なに?」

近すぎて、貧血になってしまいそうだ。どうしようもなくて、ぎゅっと目を閉じる。
囁きが聞こえた瞬間、唇に柔らかな感触を感じた。

「――、」

長いように思ったそれは、離れれば一瞬。

「先に言っておくけど」
「…え…?」

頬に指が、するりと這う。
驚いて目を開けようとした私の顔に、山崎くんのきめ細かな掌が覆い被さる。

「俺、王子なんかじゃないから」
そう言って、山崎くんは、くすりと笑った。


2011年03月18日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加