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■ BLUEBIRD(前)
突発的前後編。 すみません、いつも通りの思いつき企画。 サイトが元通りになれば、たぶん消します。
********** 「いつまで休憩するつもりだ」
黒衣を纏う男は地に蹲る少女を見て、呆れたように言った。 広大な荒野の中。 一時吹いていた風は止み、辺りは静けさを取り戻す。
「分かってるわ」
彼が離れると、まともに強い日差しが少女を照らした。 少女――否、王女は力ない声であるものの、勝気な態度は崩す事なく答える。 馬に乗ってるだけと言えど、長時間の旅はかなりの体力を要した。
「厄介なお姫さんだな」
先に馬に乗った男は、溜息と共にそう言い放った。 一体これで何度目の休憩だろう。 これでは宿に着く前に、日が暮れてしまう。
野宿する事になりそうだな、と男は思った。
「何よ、それ私の事言ってるの」 「そうだな」 「私は雇い主なんだから偉そうな口利かないで」 「気をつける事にしよう」
男は正規の警備兵ではない。 元々傭兵紛いに、点々と国を渡り歩いて来た男だ。 腕が立つ事を幸いに、仕事に困る事は無い。
――森を越えて王女を隣国へ連れて行って欲しい、という依頼が国の親衛隊を通じて彼の元に舞い込んだのは昨日の事。
傭兵紹介所に登録したのがその前日だった事を思えば、早くも仕事にありつけた、という訳だ。
そしてその仕事は男にとって願ってもない、好機でもあった。 王族に、いや王女に近付く機会を、彼は探していたから、である。
故に断る理由などある筈も無く、彼は即答で依頼を引き受けた。
数人の護衛と侍女、馬に旅の荷。 それらと共に王女はやって来た。
美しい、というよりは愛らしい容貌の姫だった。聡明そうな瞳は、芯が強い事も物語っている。
この王女と侍女、彼女らを案内するのが男の役目。 訳あって臣下を追従させる事が出来ないと言い、護衛も彼の仕事に含まれる事となった。 姫君の旅にしては随分質素なものだと思ったが、仕事内容ならともかく、詳しい事情に首を突っ込む趣味はない。
それが今朝早くの事であるのに、もう長い事旅をしているような錯覚すら覚える。
「まだまだ遠いのよね」 「簡単に着く距離だとでも思ってたのか?」 「言ってみただけでしょ」
王族の人間と関わった事は、少なくは無い。 しかしその中に、この少女のような口の利き方をする娘はいなかったように思う。 まあ俺には関係ないが、と胸内で呟いて、男は馬の手綱を引いた。 此方とて王族だからと言って、態度を変えれる人間ではないと彼は自覚している。
「ねえ、あなた東の人間なんでしょ?」
白馬を操り、王女は後方から話しかけた。
乗り慣れているらしく、安定して走らせている。
日中は日差しが強い。
森に入ってしまえば翳るが、この季節の太陽は大地も人も強く照らし続ける。
王女の前方には黒衣のマントで覆い、黒毛の馬に乗る若い男。
護衛兼案内役だと名乗ったその男は、酷く近寄り難い雰囲気を持っていた。
王女という身分も、男にとってはどうでも良いように見える。 城下の街で雇った傭兵、というのが彼の身分。 歳は幾つ程、上だろう。 若いという事は分かっても、どこか神秘的で年齢すら読めない。
「誰に聞いた?」
振り向きもせずに返される言葉に、王女は少しだけムッとした。
砂よけのゴーグルをしているせいで、視界が狭い。 男の馬は速く、気を抜けばすぐに離されてしまう。 侍女も、ついてくるのがやっとという有様。
これでは護衛どころか案内役ですら、ないではないか。
「誰でもいいじゃない。ね、ちょっとさっきから馬進めるの速すぎない」 「急がないと日が暮れるまでに休める場所を探せなくなるぞ」
灼熱の真っ只中にいるかと思われた日差しは、男の言うとおり十数キロ程走らせた間にも、瞬く間に下っていった。 少し先に越えるべき森が、視界に入る。 あそこまで足を進めるのが限界だろう。
「休める場所ってあなたここら辺を知ってるの」 「……だから俺を雇ったんじゃなかったのか?」
今度は少しだけ振り返り、男が答える。 頭まで被ったマントと目を覆うゴーグルで表情は分からないが、声からは呆れた色が伺えた。
「私が探した訳じゃないもの、臣下たちに探させたんだから仕方ないじゃない」
その臣下とやらも随分ご苦労な事だ、と男は思った。 勿論王女を預けるのだから、得体の知れない人間を雇う訳にいかなかったのだろう。
だが、偽造させた履歴書も見破れないとは、高が知れてる。 彼が商会に出した身分証明書類の立派な素性も肩書きも、捺印された隣国の印さえも偽物だからだ。 事実なのは彼が隣国から来た、という事だけである。
森を越えて隣国へ。 それが彼女の依頼。
だが雇い入れた傭兵一人に一国の王女の身を任せる、というのはやはり理解しかねる。
「あんたは此の国の王女なんだろ、何で警備つけて堂々と隣国に行かない」 「物々しくする訳にいかないの。ぞろぞろと行列引き連れて目立ちたくはないし」
王女が臣下達を従えて旅をするのに、目立つも目立たぬもないだろうとは思ったが、男は適当に返事を返し深くは問わない。
「まぁ道さえ迷わなければ少人数でも問題はない。此処らには盗賊も出ないからな」 「以前は出たと聞いたわ」 「昔の事だ」
あっさりと返される言葉に、王女は相変わらず先に馬を進める男を見た。 その背は細身ではあるが、男である事を象徴するように広い。 今朝初めて会った時に見た、黒髪と珍しい灰色の瞳が印象に残っていた。
「森に入って後少し東に進めば休むに都合いい場所がある、今日はそこが宿代わりだ」
東を指差し、男が言う。
「つまりは野宿でしょ」 「お姫様には辛いか」 「それくらい出来るわよ、一日で着ける筈がない事くらいちゃんと知ってるわ」 「それは頼もしい限りだ」
淡々と話す男に、感情の色はあまり見られない。 傭兵というものは皆こうなのかしら、と王女は白馬を走らせながら思った。 黙々と進む内に更に日は傾き、同時に焦げ付いた熱さはなりを潜め始める。
火を焚くまで持てばいいが、と考えてる内に男の言う場所へと辿り着いた。
絶壁の岩が抉り抜かれたようにオーバーハングして、壁が屋根代わりになっている。 岩室、とでも呼べそうなその地形には火をくべた跡が幾つかあり、多々野宿する場として使用されているらしかった。
馬から降りゴーグルを外すと、急に視界が開けた気がする。 男が慣れた手つきで火を起こす様を、馬に水をやりながら王女は見るともなしに見ていた。
「随分慣れてるのね」 「誰でも出来るだろ」 「そうかしら」
彼の手元で消えそうな程、脆弱な炎が生まれる。
「綺麗」
ぽつり、と零した王女を、男は視線だけ上げて見る。 仄かに浮かび上がる王女の顔は、やけに大人びて見えた。
「――そうだな」
侍女は荷物を下ろし、馬を木に括り付けた。 この侍女は主である王女より三つ程上で、本人達は主従の関係というよりは姉妹に近い。
容姿こそ違うが、金茶の髪に同色の瞳という所は似通っていた。
「あなたは隣国の兵士だったんでしょう、シャフリヤール王はどんな人なの」
パチパチと音をたてて燃えだした炎を見つめ、王女は長い睫毛を伏せて尋ねる。 その質問に、男はすぐには答えなかった。
確かに前歴は隣国の傭兵だという事になっているが、実際に雇われた事はない。 かと言って、その王を全く知らない訳ではない。 裏の面で言えば、下らない人間だとは思っている。 それでも政策においては民の信頼は厚いと聞くから、無能ではないのだろう。
「シャフリヤールは立派な王だと聞く」 「当たり障りのない答えね」
男は思わず苦笑してしまう。
全くその通りだからだ。
「シャフリヤール王に会いに行くのか」
付けたままだったゴーグルを外し、下ろした荷から干し肉を取出し炙る。 これが今夜の晩餐。
「そうよ。でも隣国へ行くのは父も知らないわ、知ってるのは少しの臣下達だけ。父を――暗殺する動きが出てると」 「それにシャフリヤール王が関わっているのか?」 「彼が教えてくれたのよ。詳しい話をするから、来るようにと」 「王ではなくあんたにか」 「父は今病で伏せっているの、直接耳に入れる事はしたくない」 「暗殺……ね」
そんな話、聞いた事なんかないぞ、と男は胸内で呟く。 この周辺で彼の耳に入らない噂はない。
王女は膝を抱え、火の傍にまばらに組まれた岩の上に座る。 男がこの森に囲まれた国へに来たのには、少しばかりの理由があった。 妙薬を手に入れる、という別の仕事である。 そうしてそれは、この王女が身に着けている、と噂に聞いたからだ。
簡単な食事を済ませ、王女は火の傍で横になった。
そのまま顔を少し上へと向ければ、男が火を掻き回している所だった。 間近で見れば随分と綺麗な容貌をした男だ、と王女は思った。 岩壁を背にして、彼方を見張るように視線を向けている。 神秘的に見えるのは、灰の瞳のせいかもしれない。 僅かに青みがかって、曇った空の色を連想させる。
木を背もたれにした侍女は、既にうとうととし始めていた。
「寝ないの?」
立ち上がり燃やせそうな小枝を集めているを見、王女は声を掛けた。
「火が消えないように見てるだけだ」 「起きてた方が良いのかしら」
王女の台詞を聞いて、男は口角を歪める。
「信用ないな」 「そんな事ないけど」 「寒いか」 「少しだけ、ね」
火の傍に寄るようにして毛布を被る王女を見ながら、男は上半身を傾けて彼女を覗き込む。
「寒くないように朝まで抱いててやろうか」
一瞬、王女は声を詰まらせた。
「な――」 「冗談だ」
さらり、と二の句を告げもう炎に向き直り新しい木をくべる男の横顔を、王女は憮然とした顔で見た。
「からかわないでよ」 「頭の固い姫さんだな」 「悪かったわね」
侍女にも似たような台詞を、よく言われる。 それを思い出して、王女は唇を尖らせた。 そうした仕草も子供染みているので、常に注意されてしまうのだが。
黒いマントを脱いでも、黒衣を纏い同色の布を頭に巻いた男は、景色に溶け込んでるかのように見える。 自身で馬に長時間乗る習慣のなかった王女には、昼間の移動は暑さもありかなりの疲労だった。 それでも度々取った休憩で、体力を持ち直していたのだろう。
(そういえば――)
昼間の事を思い返せば、彼は休憩の度に、彼女の傍に立っていたような気がする。 その時は警護の一環なのだろう、と思っていた。 だが今思えばああやって、日陰を作っていたのではないだろうか。
「ありがとう」
ふと唇から滑り落ちた言葉。
「何が」
不思議そうな顔をして問う黒衣の男に、王女は慌てたように「何でもないわ」とだけ告げて、押し黙った。 特に不審がる様子もなく、男も何も言わなかった。
口を閉じてしまえば焚き火の音だけがやけに大きく聞こえる。 後は無音。 月が輝き、草を照らす。 それがきらきらと輝き、光を放って見えた。 特に珍しい光景ではない。 なのに王女には、やけにその景色が美しく感じる。
それはこの男のせいかもしれない、と思い、襲ってきた眠気と共に彼女は目を閉じた。
【続く】
2009年01月30日(金)
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