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■ Final:シュウスケ
部員だけのミーティングの後、各々が楽器を片付けるのをぼうっと見ていた。俺の分はと言えば、早々にケースに締まってあって、することは特にない。ならさっさと帰れば良い、とわかってはいる。本当なら、マヒロと一緒に帰っていたはずだった。
――もっと。あいつに、言いたいことがあったのに。
『話があるの』
練習が始まる前の先輩の言葉がなければ、そうしていたはずだった。
話。先輩とは前に一緒に帰って以来、ほとんど話なんてしていない。俺の態度が変だと思うのか、向こうからも話しかけてくる回数は減っていた。先輩が悪いわけじゃない。全部――俺が。
だから今日の練習前に先輩が俺のところへ来た時は、正直身構えてしまった自分がいた。
あちこちから聞こえる話し声は、耳に入っては来たが、内容は全くわからなかった。理解する気がなかった、というだけかもしれない。少し頭が痛むのは睡眠不足からだろうか。
昨日は――眠れなかった。人の事を笑えやしない。
ぼんやりと見ていた視界の中に、細身の制服姿が映り込む。僅かに視線を下げて、気だるそうに立っていた姿勢を戻した。
「ごめんね」
申し訳なさそうな先輩の声に、顔を上げる。いつもの俺なら言うはずの「いいえ」とか「ちっとも」とかいう言葉は出てこなかった。荷物を置いて廊下に出る。何人かがこちらを見たが、誰も声はかけてこなかった。
「上、行こうか。今日は屋上が開いてるの」
先輩が悪戯めいた瞳で上を指差した。一つ頷いて、後を付いて行く。言われた通り、扉の鍵はかかっていなくて、すんなりと屋上へと出ることが出来た。空が近い。風が強くて、頭上の雲は物凄い速さで進路を決めているようだった。
「風、強いわね」 「…そうですね」
言ってから、随分素っ気無い返事だなと気付いた。
「シュウくん。私――」
給水塔に背を向けるようにして、先輩が振り返った。
「私、あなたが好きなの」
困ったように首を傾け、
「前にも言ったわ」
黙ったまま、目は逸らさなかった。強い光を湛えた瞳が、真っ直ぐにこちらに向けられる。どうして先輩もマヒロも、こんなに強い目の色をしているのだろう。
「知ってます」
俺はどんな風に見えるのだろう。そんなこと、今まで考えた事もなかった。他人の評価を気にしないのと、気にするだけの余裕がないのでは全く違う。
マヒロは俺の全部が好きだと言った。
それはその存在自体が、ということときっと同じだ。俺は先輩の『全部』が好きだろうか。昨夜、それを考えて眠れなくなった。一晩考えた。いつか先輩も一晩中考えた、と言った。
だが出た答えは、先輩とは違っていた。
「だから――」
全てを言い終える前に、首を振る。先輩の声は聞こえなかった。ぴたり、と一瞬だけ。風が止んだ気がした。
震えるような声で、どうして、とだけ耳に届いた。
俺はずっと先輩が好きだった。 そう。好きだった。言葉では陳腐でも。その気持ちに舞い上がって、別れたことが苦しくて、結局俺は気持ちが終わったことが見えていなかった。
あんなに人を好きになったのは、初めてだった。慣れないその感情が消えてしまうのが惜しくて。ただそう、そんなガキみたいな執着心。
秋に告げた好きという気持ちは、夏に別れを告げた気持ちの名残に過ぎないのだと。気付くことすら出来なかった。そうじゃなければ、先輩が何を言ったところで、心が冷えることなんておそらくなかったはずだ。
「俺は、先輩が思っているような人間じゃないですよ。面倒なこと押し付けられりゃムカつくし、我慢出来なきゃキレるし、表面に出ないだけで考えてることはそこら辺の奴らと一緒なんです。そりゃ人よりは冷静に対処できるかもしれないけど、それって先輩の言う『クール』とは違う。そんな俺に興味なんて、ないでしょう?」
すらすらと動く唇を、先輩が見つめているのがわかる。その顔は僅かに強張っていた。きっと俺はいつもみたいに涼しい顔をして、微笑んでいるのだろう。余裕めいて。人形みたいに優等生ぶって、笑うことしか出来やしない。
悲しい時に泣いて。嬉しい時に笑って。そんな簡単な事すら出来やしない。
ああそうか。だから――。
「先輩にあんなこと言って。すげー我が儘で勝手だって。わかってるんですけど、」
先輩の顔が曇る。見ない振りをして続ける。言わなきゃならない。俺は狡い。でもそれでもいいって言ってくれる人がいる。ややこしい俺の全部が好きだって。
そう、あいつは言ったんだ。
「大事なもの。何かわかったんです、俺」
そんな事まで、言うつもりは全くなかったのに。
だが気付けば俺は先輩に、そう言っていた。
2008年06月17日(火)
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