舌の色はピンク
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| 2022年04月28日(木) |
快感のためだけのランチ、道玄坂徘徊、アネット鑑賞 |
曇り。肌寒いと涼しいの間くらい。 弁当はないが、妻の昼のためにサラダの用意は整えた。 あとは麻婆豆腐とご飯を温めて食べてもらえばいいわけだ。 夕飯はそれぞれ外食となる。
僕はお昼をインドカレーにした。 バターチキンにサグマトン、ナン、サフランライス、ラッシーで1000円のセット。 美味しいけど、もう何度も食べた味で、新鮮さも発見もなく、 ただ美味しさの快感を得るためだけに金と時間を費やしたことになる。 別に何も悪いことではないのだけど… 自分は常に何か新しい発見をしていきたいのだなあと再認識した。
日記の文字数について。 トキノのテキストファイルが69KBで、約3万3000字くらいだったはず。 日記の方は毎月だいたい130-150KBくらいだから、 おおよそ倍として、6万6000字くらいか。 まーまー書いてんな。 1日平均2200字。手書きじゃきっついね。
退勤後、神保町から半蔵門線で渋谷へ。 九段下から行けばよかったが気づかなかった。 渋谷駅から文化村に向かう最中の景色、 なんだか町並みはそう変わってないのに 自分のよく知っている頃とは人の感じが違って面白かった。 もう若者たちってのは完全に向こう側だよなあ。 あとイベントハウスやクラブの前に並んでる人たちを見て そういえばこんなふうに街と親しんでいた季節もあったと えらい懐かしさに見舞われた。
ユーロスペースはラブホ街にある。 こんなにラブホばっかだったっけ…とびっくり。 受付でチケットを取る。 席はガラガラ。 最前列から四番目左右センターの一番いい席が空席で、 その前後と左が埋まっていた。 なんでそんなもったいない! いっそその空席取ったろかいと悩んだけど 全員が全員と隣り合いたくないだろうし 結局一番いい席の右席にした。 たぶん、三番目左右センターの席が一番初めにとられたのだろうな。 それならこういう結果になるのもうなずける。
上映まで1時間待ちとなったので辺りをフラフラ歩いた。 なるほどこうしてみると、スラムっぽさもまだ駆逐されきれておらず、 なかなか悪場所めいてもいる。 まぁそれもたかが知れてるけど。 どっかの雑居ビル入ったらもうちょっとは忍べてるのかな。
ゆっくりできるほどの時間はないので松屋に入った。 数年前にカルビ丼が美味いという話を聞いていたものの ずっと食べる機会がなかったのだ。 券売機はキャッシュレスオンリー。 前に並んでいたお姉さんがもたついていた。 あなたは全然悪くないよ。 飯は可もなく不可もなく順当。 でもまあ自分で作ったほうがうまいな。
すこし早めに劇場戻って用を足す。 1Fのトイレをつかってみたら狭くて暗くて怖かった。 地下一階で霊的ポリシェビキを上映していたようで、 アレ自体は別に怖いもんでもなかった記憶あるけど このトイレと合わさると恐怖感倍加どころじゃないな。 トイレって狭いだけで怖いよな。
上映開始10分前、神妙に席についた。 19時半上映開始。 アネット。 上映時間140分。 だけど一瞬で終わった。 ほんともう一呼吸の間にというか…。 体裁はミュージカル映画であるし 台詞の殆どが歌われる形式だったから 曲数はえらい多かったんだけど 全部ひっくるめて1曲みたいな壮大さがあった。
個人的な感想として、 開始2分で泣いてしまった。 ああ、歓喜の百鬼夜行だ…と身に迫るものがあって。 で、話が展開していくにつれて、今度は別の感動が押し寄せてきた。
……僕が思うに、人間の正体というのはまだまだ全然、解き明かされていない。 絵画や文学などの芸術はかなり正体に肉薄しうる。 がまだまだ全然なのだ。 けれど一方で、人間の正体というのは、 誰か一人の正体が明らかにさえなれば、 人間全体の正体が明らかになる……と僕は信じている。 じゃあ一人の人間をとことん解剖してみよう、 としても、これはべらぼうに難しい。 内面は外の世界に触れた途端、変質してしまう。 たとえば感情ひとつとっても、 それに最も適する言葉を選び取った時点で、 もうズレが発生してしまう。 内面にあるグジュグジュの感情を、 「悲しい」と呼んでしまった時点で、 そう置き換えてしまった時点で、 もう正体からは離れてしまう。 ”それ”を言葉で表すには、「悲しい」という言葉を使わずに、 比喩や物語を運用して、擬似的に再現するほうが迫れる。 絵画にしてみても、自分の中にある “至高の青”を外の世界で表現するためには、 緑とか赤とかあるいはそれが塗られる媒体とか、 別の物が用立てられる。
この映画は、その”内面”を露出させてきてる。 で、直接的、簡易的な置き換えに頼らないから、 場面場面でわけのわからないような描写に巻き込まれる。 そりゃあ、そうなのだ。 “内面のそれ”は、外の世界に露出した途端、 ボロボロに崩れ落ちてしまう。 だからコーティングして擬似的に再現する。 その再現は、いわば青のための緑だ。青のための赤だ。 点描画を間近に見つめるようなものだ。 直接的な文法で解読できるコードにはなっていない。
ところが鑑賞者の方でも内面を開いてみると、 このチャンネルが合うことがある。 すると一人の人間の内面が、まるごと迫ってくる。 それはモノスゴイ情報量で、到底処理しきれない。
硬球を顔面に投げられて目を閉じずにはいられない。 ところがこれは硬球どころではない。いうなれば隕石だ。 だから、察知した瞬間にチャンネルを閉じてしまう。 でも一瞬でも通じた瞬間に、 莫大な”正体の片鱗”がこちらになだれ込む。 ここに感動がある。 僕は感動した。 みんな感動しないの?
映画館出て、余韻にひたったまんま外歩き。 道行く人みんな恋しくなるような感じ。 でもスクランブル交差点で急激な現実感に塗りつぶされた。 男、女、男、女、男、女、男、女、…。 なんかこう、人間の内面ばかり考えていたところに、 外側の空気にさらされきった人間を大量に浴びせられて、 認識が不明瞭になった。
山手線で新宿へ、中央線で荻窪へ。 23時前に帰宅。 妻はソファの上に読書灯を取り付けていた。 おしゃれではあるのだが電源のための配線に難がある。 そのために他の配線を犠牲にしなければならず、 小さい実用を求めて大きな実用を逃してる転倒ぶりがうかがえ、 それについては難詰した。 しかし実用を抜いた、洒落っ気の面で秀でているから トータルで見ればヨシとした。
入浴後、アネットの感想を検索してみた。 まともな感想をあげているものが全然いない。 そりゃあそうだ、一言二言では表せられない。 では長文ではどうかといえば、映画評論家や 評論家気取りの記事になるのだが、 いずれにせよカラックスの他作品と比較した上で 映画評論の文法に乗せて どうにか体裁を保っている程度のことで、 お前の感動はどこにあるんだよと問い詰めたくなる。
まるで三島論みたいだな。 作品そのものを正面から見つめない。へきえきする。 いやわかりますよ、 他作品と比較し差異を照射することによって 本質を浮かび上がらせ立体化する、 むしろそれによってしか批評は深化しない、 ごもっともですよ。 だがお前の感動が見えないのは退屈だ。 その言葉数で作品そのものを語り、 お前の感動を教えて欲しいのに。
読み聞かせ民話。パレスティナ。 えらい面白かった。 女が名前売りの修道者にそそのかされて 有り金全部ささげて名前をもらう。 「今日からあんたの名はライスプディングだ」 この時点でかなりくるってるけど そっから夫が帰ってきて、事情を知って妻に呆れ返る。 夫はどうにか金を奪い返してくるという。 「お前と同じくらいバカな奴に会うまでは帰ってこんからな」 というなんだか素敵な捨て台詞を残して、 修道者を追って砂漠へ向かう。 この砂漠でいろいろあって、この男は結局、 まったく別の夫婦をだまくらかして金をせしめる。 で家に帰る。金はなんとか元通りになったぞと。 えーーーーーーー。 結局修道者出てこなかったし。復讐とかじゃないんだな。 相手が誰だろうと失った金さえ戻ってくればいいのか。 そういえば「お前と同じくらいバカな奴に会うまでは」って 言い草にも見合うしな。 ワー面白い。 いい気分で寝た。
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