舌の色はピンク
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| 2022年03月21日(月) |
写真投稿アイデア、図書館員、ベビーカー事故、ブラック校則 |
晴れ。 弁当はウールガイに鶏もも肉。 祝日だけど出勤。 いつもだけ2分だけ早く家を出た。 週末に庭掃除したぶんのゴミ袋をたくさん出した。
チョット思いついたアイデア覚え書き。 Twitterで風景写真をアップし続けているアカウント。 路上から見える景色を写すだけの素朴なもの。 毎日無言で1枚ずつアップしている。 バズりはしないが、毎日数十のいいねがついている。 たまには3桁いったりとか。 フォロワーは400人くらい。 で、毎日タイムラインにあがってくるその写真を 見るともなく見ていると、 ふと見覚えのある風景だと気づく。 駅からちょっと歩いたあの場所だと。 そういうつもりで見てみると、翌日からの風景も知っている。 ちょっとずつ移動して撮っているようだ。 馴染みのある風景がキレイな写真となって、 それに少なからぬ人がいいねをつける。 ちょっと嬉しいもんだ、とノンキしていたのもつかのま、 日が進むにつれて不安になってくる。 その写真は、日に日に我が家へ近づいてきている。 たまたまであると思い込みたいけれど、恐ろしくもなってくる。 しばらく放っておいてみたが、怖さに耐えきれず数日ぶりに見てみると、 とうとう遠景に自宅が映っている。 あと十数日で到着する……。 半狂乱になって、ドタバタと引っ越しをした。 写真は自分を追ってくるわけではなかったが、 とうとう自分の去ったその建物にまでたどり着いた。 ドアの写真。 翌日、玄関の写真。翌日、からっぽの部屋の写真。 一日ずつ、部屋の中を探索するような写真がアップされていく。 いいねの数は増えていく。
……で、あとは終盤へ。 これは漫画がいいかな。 小説だとあんまりだし、 ホントは短編映画がいい気がするけど、 やりやすいのは漫画だろうな。
ここまできたらオチはどうとでもなる、 割とどうしたって面白い。 たとえば… 主人公は現実に、その部屋に向かってみる。 いつもの道を駆け抜けてたどり着く。 ドアの前で立ち止まる。 開けるか、開けないか…。 ドアノブに手をかけ…たところで、向こうからドアが開かれる。 (ページをめくって一枚絵) Twttier投稿の最新写真、玄関からの視点で 主人公がドアを開けられ立ち尽くしている、 しかしカメラを構えている、 (左ページで)同構図、主人公がスマホを操作する絵、 (ページをめくって一枚絵) 主人公によるTwttier投稿の最新写真、 玄関外からの視点で“犯人にあたるその人物”がスマホ片手に立っている絵。 その背景にあたる家の窓にカメラが寄っていって、 そっからも撮ってるやつがいて…
うん、どうとでもなるな。 さらに別案。 主人公はその部屋には向かわない。 ただ毎日、もといた部屋が投稿されていくのを観察している。 やがて部屋に物が置かれた写真が投稿される。 日を増すごとに物は増える。 みるみる”部屋”ができあがっていく。 それもおしゃれな映える部屋。 それはあたかも、自分の捨てた女はこんなにいい女だったのだ、 と見せつけられるがごとく……。 いいねの数は増えていく。ちょっとしたインフルエンサーにもなっている。 ああこっちの方がいいかもな。 そうすると冒頭、つまんねー地味女だって突き放した元カノが、 今はアイドルやってるみたいなエピソードを加えてもいいな。
昼休み、九段下の図書館へ。 館内の検索機は23区それぞれでシステムが違う。 中野区、練馬区、杉並区と触ってきて、 千代田区の検索機はかなり見劣りする。 目当ての本は見つけられなかった。 なんとなくモロッコの民話集を借りてみた。 あと子どもたちの居場所に関する本。 それから論語のCD。 ただ貸出カードの期限が切れていて、 窓口で手続きを要した。 昼休み中なだけに時間はシビアだったけれど 手続き自体はほとんど一瞬で済むだろう…と思われきや意外にてこずった。 担当してくれた職員の胸元には研修中のバッチ。 たどたどしい、というほど不案内ではなかったけれども、 ところどころで手が止まるし、説明ややり取りが冗長だった。 僕は千代田区民でもなけれは隣接する区の住民でもなく、 勤務地が千代田区にあるという利用枠であるから、 勤務地の記載がある身分証明書がいる。 それはわきまえているので保険証を差し出したのだが、 名刺はありませんかという。 二重確認? たしかに一部の民間ではある措置だけど、 図書館で名刺を求められるとは…。 ないと答えるとポカンという顔。 保険証に記載されてますがと言い伝えると、 それに従って手続きを再開していた。 僕は新人には優しいつもりだ。 ありとあらゆる、うまくいかなさがついてまわる。 だからそれ自体は気にしない。 時間がかかっても仕方ない。 だけれども一通りの手続きが済んだ最後に挨拶がなかった。 こちらから、席を立ち際に ありがとうございました とも言い放ってみたが口の中で小さく ドモー みたいな低音を発したのみで、これにはこの野郎と思った。 思っただけ。 でも思った…ということを正直にここに書き残す。
定時上がりして電車に乗って座ってたら 途中の停車駅でなにやらトラブルの気配。 乗降口で女性がベビーカーを出そうとしたところ 車輪がホームとの溝にひっかかってしまったようだった。 これは一大事、と助けようとしたがすてに三人ほどの男性が協力している。 邪魔になるだけかと静観しかけたものの、割と荒く力を込めているようだったから、 反動で跳ねてもいいように支えだけはした。 おおよそ1分ほどで車輪は抜けて、おおよかったよかったと場は和んだ。 「すいませんごめんなさい、ありがとうございました」 「いい、いい。よかったねえ。よかったよかった」 女性と、気のいいオッチャンの声が微笑ましい。 ふとベビーカーの中が覗けた。 ブルドッグだった。
犬じゃねぇーか!
いや全然いいんだけど。 危なかったね、よかったねって気持ちに変わりもないんだけど。 人間の赤子だと思い込んでたところに ブルドッグの面がまえが飛び込んできたものだから ビックリしたしビビッたし瞬間的に犬じゃねぇーかって思いが湧いた。 騙されたみたいな。 いや何も騙されてはないのだけど……。
それはそれとして。 ベビーカーの中で大人しくしているとはいえ 電車内に飼い犬を持ち込むという 社会的規範からちょっとだけ逸脱している行為、 その心理までを察するとかなり共感性羞恥みたいな感情がうずまく。 彼女なりになんらかの理由付けがあってそうしているわけです。 傍からは言い訳がましくしか思えなかったとしても、 なんらかの理由はあるはずなのです。 で実際、「何も起きなければ」、 「なんでもなく」乗車の時間をやり過ごせたはずで。 彼女はそれを祈っていたろうに、電車を降りるという終盤で、 問題が発生してしまった。 その瞬間の焦りや、申し訳なさや、不安、 または自己弁明、不条理への嘆き、 早くどうにかしなくっちゃ、やばい、 いや焦っちゃダメだ、ああ人に見られている、 集まってきてる、ごめんなさい、私が悪い、でも悪くない、 でもごめんなさい、………… 我がことのようにトレースされてツライ。
見知らぬオッチャンが 僕には決して出せない声音で 「よかったねえ」 と声をかけている姿に本当に救われた。 僕はああいうオッチャンになりたい、 でもなれない、 じゃあどんなふうに…… ってここ数年ずっと考えてる。
今日は西荻で降りて西友に寄った。 ゴミ箱の消臭シートを買う。 200円で2ヶ月持つ。 100円で買えないものかな。 5月末に張り替えね、はいはい。覚えてられない。 渋川栗を瓶詰めかパックで買いたかったが売っていない。 さすがに富澤商店まで行かないと無理か。
帰り道で妻から電話。 トライアングルストラテジーの1周目をクリアしたらしい。 早いな。 その興奮で電話をかけてきたようだ。 しょうもない世界観とシナリオなのかなと危ぶんでいたから それなりに楽しめているならいいと思った。
夕飯は肉じゃがと春巻き。 春巻きは妻が先週作った余りを冷凍しておいたもの。 これを揚げただけ。 ちょっとだけ気が急いてキレイなきつね色にはならなかったが 皮はパリッとしていて。十分うまい。 肉じゃがも美味しい。玉ねぎの甘味タマラナイ。 たらふく食って大満足。
食べ終えて20時、義父に電話。 妻は嫌がっていたが、事務的に報告をした。 義父からは簡単ながら祝いの言葉を頂戴した。 大手企業の役員職を辞して興した会社が、 いま瀬戸際だそうで、かなり忙しいとのことだ。 通り一遍の労いの言葉は向けたが 我ながら中身のない社交辞令だと自省した。 それでも報告ができてよかった。
さああとは今日はゆっくりするかと くつろぎかけたところで腹具合を壊した。 食べ過ぎだったのか、それとも冷えたのか…。 そもそも最近…ここ2ヶ月ほど、胃腸の調子がかんばしくない。 バナナジュースやヨーグルトで整えてるつもりではあるのだけど。
身体を温めたくて今日は早めに入浴。
ブラック校則について妻と語った。 白い下着でないといけない、という校則は いかにも馬鹿げているが、おそらくは旧時代、 この規則に正当性が大いに認められていた時期があった。 それが、そのまま現代に生き残っている。 じゃあ変えましょう、となったときに、 どれだけの手続きや根回し、書類、労力がかかるのか、 いまいちわからない、といった話をした。 表側の事情も裏側の事情もあり、 学校なんてものは企業よりもいっそ シガラミが複雑化していると思われるのだが、 表側だけ見て「なんで変えられないの!」と騒いでいるうちは自己満足だと思う。 本気で変えたいなら別のアプローチをするべきだ。
にわかの革新家、改革家は、保守の力をなめている。 というか見ようとしない。 保守というのは立場じゃなく、ある仕組み、機構だ。 その仕組みの方にねらいをつけるべきなのだが 自分の見える範疇で物事を扱いたがる連中は 「どうして理想がかなえられないのか」 と文句ばかり言っている。 そして理想論が悪いと非難されている、 そういうカンチガイすら巻き起こす。 理想論が悪いのではなく、 理想論の実用にあたって 見たくないものを見ないようにしている、 そうした精神的な甘えや幼さ、都合の良さが癌なのだ。
入浴後、明日のためにマグロを醤油とみりんに漬けておいた。 バナナジュースを飲み、寝室へも早めに向かった。
今夜も民話を読み聞かせた。 アイルランドだったっけ…。 野卑な連中が人形をボッコボコにして 弑逆の限りを尽くす胸糞な話で 彼等は軒並み懲らしめられたけど 人形たちの恨みが怖くて震えた。
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