舌の色はピンク
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2022年01月11日(火) くたばれソリューション

雨。
そんなには寒くない。

弁当はナシゴレン。
ちゃんとエビを入れた。
卵焼きはのっけなかった。
面倒ていうより油っ気が強くなるので今日は控えた。


雨の中信号待ちをしていて思ったけど
昔は耐え難かった冬の雨もなんだか受け入れてる。
慣れというのか飽きというのか
これが大人になるとか年老いるってことなのか。
世界への順応性が高くなって
鋭敏な神経が失われ鈍麻になっていく。


内田樹先生の本を読み始めた。面白い。
小学校教育についていいこと言ってた。
自分の能力や才能の限界を知らせてやり
身の丈にあった生活レベルへと軟着陸させてやるのも
学校の役目である、
“身の程を知れ”という観点が重要である、
そこを起点として学問や芸術への芽を開かせていく、
子どもたちに
“可能性は無限大”
と説くのはいかにも美しい取り組みのようだが悪点もある、
“可能性は無限大”と”資源は有限”という言明は
両方を同時に説いていかなければならない、
その矛盾の間で子どもたちは学びを起動させていく…
そんなような話だった。


アエナフ。
キッチンに立っていても
iTunesから音楽を転送しようとしても
電車に乗っていても
「これオカシイだろう」ってストレスに日々見舞われる、
これはどんな人にでもあるレベルの話で
僕だからどうってわけじゃない。
ただまだ一般化できるほど、
人に理解を求められるほどの理論にはなってない。
いったんはメモ書きとして残しておく。

ある問題ごとに対して、
その問題ごとの構造に文句垂れたいときに、
傍からすれば
「こうすればいいのに」
という冷静な目線がもたらされる成り行きはよくある。
「事前に調べてみたらいいのに」とか
「これを足してみたらいいのに」とか
「そもそも取り入れなければいいのに」とか。

この思考法は
 仕事ができる
と見なされがちだ。
というより、この思考法に則ってやらないと、
 仕事ができない
タイプにカテゴライズされがちというか。
ビジネス思考、合理的志向、
男性社会的な感情排除の課題解決思考法。

線路上に石が置いてあるなら取り除けばいいとか、
そのまま電車で踏み抜けるようにしてしまえばいいとか、
そうした対処がもてはやされる。
できるはずの対処をほっぽいて
「線路上に石が置いてあるなんてオカシイ!」
と叫ぶ人はヒステリー扱いされ、
「--すればいいだけなのに馬鹿じゃねーの」
と嘲罵される。

僕自身はそうした対処策を講じるのが得意な方だから、
だからこそ痛切に主張したいのだが、
対処策ばかりに価値を重んずるよう
無意識的に刷り込まれているビジネス型人間はカスだ。
そもそもを良くしようという革命精神がない。
彼らには創造と破壊ができない。
せいぜいが
「ニッチな市場を切り拓く」
とかいうアリモノの再生産が関の山だ。
彼らは
「今ある状況を構築している仕組みを突き止め、
情報を収集し、整序し、
問題ごとを問題ごとたらしめるエラーポイントを見出し、
あたかも病巣を切除する外科医のように、
あるべき正常へと戻す解決策を図るのは大得意なのだ。
これをソリューションと呼び習わす

この
 あるべき正常
という見方がクセモノで、
共同幻想的な虚像ではあるのだけど
あまりに輪郭の強固な影像だから
現実問題を照射した実像ともいえてしまう。

…今日はここまで。


鬼殺し、面白い。
肉蝮があまりにもヌルいアクション漫画だったから
いい引き立て役になった。
凄惨。圧倒的暴力。インモラル。
コレだよコレという感じ。


夕飯は焼鮭。
だけだと妻が嘆くからトックも用意した。
イチョウ切りにした大根とニンジンをごま油で炒めて
いつもならエリンギと肉を入れるけど今日はなし、
水を加えて水煮ゼンマイも入れて煮込む。
味付けは生姜ニンニク韓国スープダシ、塩コショウ。
トック餅は早く入れすぎるとグジュグジュになるから
よそう1分前に入れてさっと煮込んでできあがり。


ウシジマくんちょっとだけ読み返した。
ギャル男くん。肉蝮が見たくて。
今回パラパラパラーっと読み返しただけだから
あまり入り込んでいけず
怖さみたいなものは感じなかったけど
初回読んだ際の格別の情感は思い起こされた。
いやにナマナマしかったんだよな。
こういうやつ、いる。っていう。
顔も言動も。


22時前、ほうじ茶を入れて大福を食べた。
廊下の窓を開け放って、夫婦揃って縁側を向いて雨を眺めて。
えらい幸福な時間だった。


入浴後、バナナジュース。
読書。
0時半過ぎに寝た。


れどれ |MAIL