舌の色はピンク
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| 2021年06月25日(金) |
…しないと意味ないんですよ |
弁当は酢豚の残り。 ボリューム不足にならないようタマネギ切って足して 一緒に炒めたものをご飯にドンとのせてできあがり。
夕飯は献立を用意してなかった。 本来なら昨晩の買い物で 真鯛の刺し身を買っておきこれをカルパッチョに、 さらに白身魚をソテーして…と考えていたのだが 購入を失念してしまった。 金曜日は固定の残業日につき高円寺駅に21時半到着となる。 お世話になってるスーパー、ユータカラヤは21時閉店。 駅の反対側、南口方面にはSEIYUなどのスーパーもあるが往復7分ほどのロスになる。 北口には高架下に併設された格好で東急ストアが24時間営業をしているものの、 あからさまに割高であるしいつも混んでいる。レジまわりの質も悪いから行きたくない。 あとはAEONの小規模店舗もある。こちらは輪をかけて質が悪い。 したがって、僕は残業のある月水金には、仕事帰りにスーパーへ寄ることはない。 火木土日で済ませている。
おかずがないとはいえ、完全にないわけでもない。 先週末のラーメンに添えるはずで出しそびれていたメンマが残っていた。 これをごま油と和え胡椒を振り、万能ねぎを散らす。 缶詰のコーンも余っている。バタで炒めて塩胡椒。 さらにはキムチ。味噌汁。 そして僕は自分用に卵かけご飯を用意した。 生卵を嫌う妻のご飯は牛そぼろのふりかけで勘弁してもらった。
電車内にどきゅんのなれの果てみたいな四人組がいた。 割と空いてる車両内で 缶ビール片手にノーマスクで騒いでいて 30は超えてるしへたしたら40前後かってくらいの若作りしたいい大人。 一人はガチガチにタトゥー入れてて 偏差値5です数とか5までしか数えられませんしみたいな顔してる。 何より声が 愚かさを凝縮したような声が もはや悲惨なまでの具合でして
でも案外、ほかの乗客は意に介さずといおうか にらみつけるわけでもなく 車両を移るわけでもなく きれいに無視していて。 僕は戸惑った。
しかし彼らに、何もできることはない。 説得はできない。 酒も入っているし、言ってみるだけ無駄だろう。 わかりやすい公権力か 暴力性が視認できるようなキャラクターでもない限り、 むしろ余計なトラブルを招きかねない。 他の乗客の手前、望ましくない。 せいぜい、ものすごく下手に、 もうすこし声のボリューム下げていただけると… と懇願するのが関の山だろう。 それにしたってこのやりとりすら、一瞬では終わらなそうだ。 コロナ禍でなければありかもしれないが、 乗客一同は今のこの場を、あきらめるような心地で やり過ごそうとしているのだから、やはり下手に動くべきではない。 万一剣呑な雰囲気になった場合、 こちらが威力を振るわれたなら、 たとえそれが小傷であったとしても、遺憾は甚だしい。 自分の人生におけるどうでもいい障害物のために そんなリスクは負いたくない。 これは一同が共有している感覚だろう。
不思議だ。 彼らが公共圏において負の存在であることは明らかであるのに、 何もできることがない。
人格を賭けた世間(世界)との取っ組み合い、 この手の格闘と葛藤を陰湿と名付けられては心外だ。
論そのものではなく、論法の問題なのだが、 人はなかなかそうは受け取らない。 たしかに、ことわりさえなければ よほど察しのいい手合を除いては、 大抵の語りは論を説いているのだと決め込むのも道理だ。 しかし僕は、二項対立への不信感もあるし、 論などあてにならない、大抵どうでもいいと思っている。 論法、構造の方が大事だ。
説得することと納得させることとは弁別すべきだよナ―と思った。 隙のない論理によって理合いを整え穴を埋めていき意を了解させる説得と、 必ずしも論理の経路を必要とせずダイレクトに本丸を落としうる納得。 合意形成を頂点に置く利害関係の調整ではおおむね前者の方法論に偏りがちだが、 これは能動者視点において手綱を操りやすいからだ。 しかし受動者にとっては、隙のない”正しさ”を求めている場合じゃないことが多い。 結果的に”正しさ”にねじ伏せられて、説得されざるをえなかったという結末に落ち着き、 心中には不満がうごめいている、そういう事例はいくらでもある。
ちょっとまえ、長年ハゲを研究してきた医師によるQ&Aが 一部で話題になった。 Qには「シャンプーするとハゲる?」とか 「海藻を食べるとハゲ防止になる?」とか 世間に流布している脱毛および発毛のありがちな情報が並んでいて それらに対する医師の返答はいずれも 「関係ない。ハゲる人はハゲる」 という無慈悲なもので、簡潔だけに強烈なインパクトがあり、 多くのネット民を笑わせるとともにおののかせていた。
この文言は 何したってハゲるんじゃ対策するだけ無駄だ と結論づけたくなる、そういう訴求力をもっている。 が、そう結論付けるのは誤りだ。 このアンサーは、ハゲる起因としてのリスクについては言及していない。。 つまり、たとえばストレスがハゲの一因であったとしても、 「どれだけストレスに気を払おうがハゲる人はハゲる」 と 「ストレスがあるほどハゲやすくなる」 は両立するから、 「ない方がリスクが低減する」 とはいえる。 もっと極端にいえば、では、ここにハゲ薬スグハゲールなるものがある。 スグハゲールは非常に美味でしかも服用すると肌がツヤツヤになる。 しかし副作用ですぐハゲてしまう。 「スグハゲールを使わなければハゲませんか」 という質問には 「関係ない。使おうが使わなかろうが、ハゲる人はハゲる」 という答えが返される。 そこで 「じゃあ我慢しても意味ないですね。使います」 こう結論づける、そういうノータリンが、世の中にはものすごくたくさんいるのだ。
この「意味ない」とか「無駄」とかいう論法は元々世間に広まっていたけれど、 ことさらコロナ禍において、この一年ほとんど毎日聞いた。 たしかにある意味をないことにして、自分の都合で物事を語る。 だいたいは 「中途半端に対策したって意味ないよ」 という声だ。
似たような例えを続けるけども、 「歯磨きは20分以上続けないと意味ない」 というアホな説を聞いたことがある。 じゃあ19分50秒なら、19分30秒なら、19分なら、… と考えていってみたとき、たとえ1分でも、意味ないことはないだろう。 「歯磨きに一定の効果を期待するためには20分以上が望ましい」 たかだかこの程度も成文できずに、無自覚な極論をかましてしまうのだ。 その手の連中が平気で、なんだったら賢明ぶって コロナ対策についてコメントする。 「だからね、ーーーしないと、意味ないんですよ」 考えることを放棄してわかりやすい答えにすがる典型だ。 二度と口を開かないでほしい。
帰るなり妻が上機嫌。 「捨てる神あれば拾う神あり」 を体感した一日だったという。 行きつけの売店で、職場で、馴染みの喫茶店で、 いくらかの人に親切をされたそうだ。 それが利害関係や因果によることなく ほとんど偶発的な親切であったことから、 優しくされるって素晴らしい、と実感できたとのこと。 いい話だ。
今日の分の日記 もーちっと ごにょごにょと書き連ねていたけど 消失してしもうた。
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