舌の色はピンク
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2007年07月11日(水) ジャジャン!ジャーカージャジャンジャン!いーとーしーさと…

近所のコンビニで
90年代のヒット曲が垂れ流されていた。
グローブがなつかしかった。
なんとも言えないノスタルジックな気分に見舞われながら
せきばくの夜道をかけぬけ帰宅し
今日も玄関のドアを一人で開けたのだ。

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忘れもしない小学校3年生の新学期、
アサミ先生とゆう新任の教師が
担任として我がクラスにむかえられ
僕を含む児童一同は大いにときめいた。
「わかい男のせん生がたんにん!」
この設定だけで
一年間のめくるめく学校生活が約束されていた気がした。

1学期初めの学級の時間にアサミ先生は僕らにのたまった。
「私はこれまで中学校の教師をしていた、
だから、小学生であるキミたちにどう接していいのかわからないし、
どう指導していいのかもわからないから、
私はキミたちのやり方に従おうと思う」
児童どもはいよいよボルテージマックスに達した。

そんなある日、学年単位で
「学級ごとに毎朝ひとつ歌を歌おう」
という小学校らしい指令が下された。
他のクラスは合唱曲が主だったが
我がクラスは指導者が「好きにやれ」とおっしゃっている。
その自由度に逆に戸惑い
なかなか選曲が定まらない空気のなか
女子の1人が覇気に満ちた挙手を講じ
「篠原涼子がいいと思います!」
と主張した。
アサミ先生は「フム」と肯いていた。

かくして僕たちのクラスは
毎朝「恋しさと切なさと心強さと」を歌うことになった。
30人あまりの小学生が
一日の始まりに
まなびやにて
気をつけの姿勢をとって
篠原涼子を合唱する光景は
まさに異空間だった。
とくに間奏の数十秒間が拷問さながらだった。
ちゃんと歌わないと女子に怒られる了解も恐ろしかった。
アサミ先生は「ウム」と終始肯いていた。


ことを、思い出した。
この思い出のせいで
90年代のポップス全体がトラウマなのだ。
僕が18までカラオケ嫌いだったのもしかたない。


れどれ |MAIL