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2008年03月12日(水)
大切にしたい、この思い
しばらくぶりの日記ですが。

ちょっと色々ありまして…
と書くと勘のいい方は分かると思うのですが。

彼が先週の火曜に帰ってきて、3日くらいはのほほんと過ごしていたのですよ。
週末の旅行の切符をJTBに取りに行って、
なぜか帰りに蕎麦屋で飲んで帰ったり、
旅行どうするー?とえへへとしたり、
彼の実家に行くときの作戦を練ったりしておったのですよ。

が、事件は旅行の前日、金曜の夜に起きました。

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ま、まさかこのタイミングで…
その衝撃の知らせと旅行に行けなくなったショックで呆然としました。

すぐに旅行のホテルと切符のキャンセルの手続きをしました。

土曜はひたすら礼服を探しにデパート巡り。
母からは未明に…と連絡がありました。
土日は斎場がとれず、月火に通夜・葬儀が行われると言われる。

日曜には来いと言われ、急いで飛行機を予約。
なんとか残り5席に滑り込みセーフ。

以前友人が祖父が亡くなっても忌引きにならなかったのを思い出し、
誰もいないのを覚悟してダメ元で学校と病院に連絡。
学校は休みなので学務には連絡が取れず。
月曜から放射線科の実習だったので、
放射線科の医局に電話するも当直の先生しかおらず、
どういう扱いになるかはわからない。
月曜にまた連絡してくださいと言われる。

今年度から建前は一日でも実習を休むと留年という決まりになったうちの大学。
そして融通がきかなそうな放射線科の雰囲気…
このとき、留年を覚悟(泣)
(結局やはり忌引きにはならず、というか忌引きがないらしく
 留年のところを2日でレポート5つ仕上げることで許してもらえることに。
 許してもらうって表現もおかしいけど。わたしは悪くないし。
 忌引きが認められないなんておかしすぎる!!)


日曜におじさんのところに行き、
月曜通夜、火曜告別式で火曜の最終便で戻ってきました(汗)

久々の羽田、東京の交通機関、
多すぎる仕事、初めて会う親族の人。
いとこの子供(1歳)の子守、
宗教の違いによる衝撃・ショック。

最後はいとこが疲労で倒れ、立ち上がれなくなり、
医学生ということで世話を任され…
(結局わたしの処置は医者に褒められたらしいのですが)

そして、おじさんとの別れ。
泣きすぎて頭が痛くて、
悲しいのと疲労で眠れず、
食事は割りときちんと取っていたのですが
3日で2キロ痩せてました。
こういう痩せ方、よろしくないですよね(泣)



元々言われていた余命より半年長く生きた上に、
今年の1月にはどうしてもということで最後の海外出張。
結局それが原因か肺炎になり一気に衰弱したそうです。
最後は退院して家で酸素と鎮痛薬・鎮静薬で対症療法のみ。

おじさんは変わり果てていました。
綺麗だった髪は抗癌剤で脱毛してしまうよりはと自分で短く苅ってあり、
さらに抗癌剤の副作用で密度も薄くなっていました。
すっかり痩せてツヤを失った肌。

同じく癌で亡くなった祖父と同じように
細く尖った鼻…

祖父が亡くなったときに看護師をしている母が言っていたのですが、
亡くなる何日か前には死相が表れて、もうすぐだと分かるそうです。

この鼻もその特徴の一つだったのでしょうか…。
将来医療の世界で働く上であまり知りたくないことを知ってしまいました。


おじさんのことは大好きだったけど
忙しい人であまり思い出らしい思い出もありませんでした。

なのになぜそんなに泣いたかというと、
1月に肺炎で状態が悪くなったとき、
うちの家族がおじさんの元に向かったのですが、
そのときおじさんはこう言ったんだそうです。


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自分の長男でもなく、わたしの兄でもなく、
わたしのことだけをそう言っていたそうです。

その話を聞いたら、もう泣かずにはいられなくて。
どうして一度おじさんのところに行かなかったんだろう。
行って、彼の話とか、勉強のこととか、将来のことを話さなかったんだろうって
後悔の念がどんどん沸いてきて、思い出すたび泣きました。

わたしの結婚式に出られないのは分かっていただろうに…
でも、出たかったんだろうな…
わたしのことを実の娘のように気に掛けていてくれたんだろうな…


最後、棺に花をたむけるとき、涙を流すだけじゃなく
嗚咽をあげるのを止められなくなり、
おじちゃんの顔を触って、
結婚式、来てね。と誰にも聞こえないように言いました。



すごく疲れてしまって、今もまだダメージがかなり残っていますが、
おじちゃんの思いを知れたことは本当によかったです。


去年の今頃は将来癌の患者さんを診るつもりは完全にありませんでした。
できれば癌の人のいない科に入ろうと本気で考えていました。

1年間色々な患者さんを診てきて、
癌の患者さんだけではなくても辛い治療をされている患者さんを見てきました。
1週間、ホスピスにも実習に行きました。
そこでは死を待つ患者さんと毎日お話をしました。

そういう色々な体験をして、考え方は変わってきてはいましたが、
今回のことがまたそういったことについて考えるきっかけになりました。

とにかく今はいい医師になるために勉強するしかできないけど、
おじちゃんのあの顔はずっと忘れないし、
おじちゃんの家族の悲しみも忘れない。

この思いを大事にして、将来患者さんを診ていけたらと思います。



なんか長くて重いだけの日記になってしまいましたが、
今週末は彼の実家へ挨拶に行きます!!
気持ち切り替えて頑張らなきゃ。


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