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■ 身をよじってほどいてゆく
おお、すごいな又吉先生!でもゴメン、まだ読んでないねん…。 いや当初は読むつもりあったんですけど、もう何年も文学といわれるものを読んでいないうえ、お笑い芸人の話だと聞いて一気に…こう…。なんせ又吉先生とやしろさんは仲良しだったし、あの時代の、東京の、若手の、お笑い芸人たちの空気を、あの閉塞感を、文字空間に持ち込まずにいられるはずがないよなと思って。 カリカでついた傷はまだぜんぜん生乾きで、ゆえに手が伸びずにいる。
お笑い芸人が書いたエッセイなら本棚にあるぞ、とひっさびさにオードリー若林「社会人大学人見知り学部卒業見込」の付箋はったとこだけ読み返し。やっぱり黒ひげ危機一発の、「何かをして何も起こらなかった時、飛ぶ可能性は上がっている」は大好きだなあと思う。これも結局「勝つための努力は無駄かどうか」の角度を変えた答えなんだけど、これを言えるのは結局1度は黒ひげを飛ばしたことがあるからなんだよね。リアルな世界では飛ばない樽なんていくらでも転がっている。それでも最後の穴まであきらめずに剣を刺しつづけることが、どれほど孤独で恐ろしいか。
自分と同世代で似かよった教育を受けてきた人たちと話していると、彼らがあまりにも剣を刺すことを厭うのでびっくりする。「やらないで後悔するよりやって後悔したほうがいい」みたいな考え方は、みごとに満場一致で否定される。普通っぽいこと・普遍的なものはとりあえずナナメに批判しとけでアイデンティティ保ってるのがわれわれ文系ではあるけれど、そういう考え方を「賢い人はなんとものごとを難しく考えることよ(詠嘆)」とそれなりに尊重して同化しようとしてたのが10年くらい前までで、最近はラフに「あ、こりゃ別人種だ」と思うようになった。哲学者と哲学研究者は違う、という単純なことが私はわかっていなかった。研究者と研究研究者は違う、といったほうが正しいかもしれない。今の研究者の成功はいかに若くして一定の地位に着くか、だ。
「マッチョ」という言葉は文系的文脈では完全にマイナスの表現なんだけど、私はどうやら脳筋であるらしく、少なくとも腺病質な脳は持ち合わせていなかった。ジムに通いはじめて思いのほかウェイトトレーニングにはまってる今。
2015年07月16日(木)
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