2007年05月22日(火) |
ホームページの変遷と私 |
今回ホームページを作るにあたって、重視したのは、「できるだけ軽く、負担なく」だったのかもしれない。負担にならないように極力そぎ落としたホームぺージになった。私はこう見えても、ブログ、HP歴(?)は長く、2002年くらいから楽天にブログをはじめて、2004年に、このHPの前身、「1日のことを1日分だけする暮し」という長いタイトルのHPを運営していた。
そして4年くらいやってみて思うことは 「重くなってくると辛い」「環境は大事」だった。
まずは、ブログ。ブログは、いろいろな会社が提供しているけれど、ネットコミュニケーションの過剰ツールがふんだんに盛り込まれていると私は感じる。元々私は、そんなにネット交流大好きというわけでもないので、そんな私視点の話は前提だけれども。「掲示板」「コメント数の表示」「カウンター」「更新のお知らせ」最初は新鮮で楽しかったけれど、だんだんとそれがあることが苦しくなってきた。それから、ブログという形態が文章そのものの匂いを薄くしてしまうこと。四角い枠に自分の文章を収める。そして更新すると下がっていき、埋もれる。日記と題されているところ。とりとめもない話と同じ風になってしまうこと。そういう枠。
それで苦しくなって、自分でホームページを作った。 イラストを描く友人にイラストを提供してもらい、今思えば、相当、気合が入ってたHPだったと思う。ブログの反動で、文章ができるだけ埋もれないページにしたくて、私は、「おいしいもの」「心のあかり」「よかったばしょ」「ほんのちょっとしたこと」「名言ノート」などカテゴリに分けたり、文章も左に目次を置き、見やすいようにした。最初は順調にいっていた。とにかく書きたいことがいっぱいあって、毎日更新していた。でも、皮肉なことに、自分で自分の首を絞める結果になった。自らがこのカテゴリに縛られ、溜まっていく文章を重く感じ、身動きが取れなくなってしまったのだ。(他にあまりに凝りすぎたため管理も大変だった)
それに重なって、この時期は、自分の進路を考える時期と重なっていた。私は、そのころから自分で何かやっていきたいという気持ちがあって、就職活動は一切していなかった。が、当時の私は現実と望みとの距離をうまくとれていなかったし、身となるものを得た上で、現実とリンクさせるということを全くしていなかった。私は、現実と望みの間で揺れ動き、人生最大の危機を迎えた。死にたいと思ったのは、そのときが初めてで、明日が真っ暗に見えた。食欲も初めてなくなった。今となっては笑い話だけれど、友人が中華料理屋に行ったときに、私が注文を「何でもいい」と力なく言ったのを聞いて「umiちゃん、やばいんだな」と本気で思ったそうだ。私は普段、迷って迷って決め、決して何でもいいなんて言わないのだ。「ほんと、あのときはびっくりしたよ」と今でも友人は熱を込めて言っている。そしてよろよろになった私は、方位学の占いの先生のところに行ってさらにショックな占断(あなたは普通に事務職をやって早く結婚相手を決めた方がいい)を受け、西南の方向がいいということで、前出の友人2人と無理やり押し切って、台湾へ旅行に行った。その後に、大学の掲示板で会社のアルバイトを見つけて、そこで働きはじめたことが安定につながって、ことなきを得たのだった。その会社で私は大学卒業後も、2年間お世話になることになるのだが。
話はすっかりそれてしまったけれど、いろんな要素が重なってHPの更新は止まった。ずいぶんと書きたいこともないし、枠が重過ぎて書きたい気持ちにもならない状態が続いて、最近まできたのだった。
もう1つ考えられることに、私の書くことは「楽しい」「嬉しい」「幸せ」と明の部分のみだったことがあると思う。それが、自分の暗部に向き合わざるを得なくなったときに崩壊したのだなと思う。最近までずっと持ってきたテーマだったと思うけれど、少し前に、暗部とも和解をした。これからは、明だけで固めない。明と暗、両方ともを認めながら、許して生きていく。それは、HPにも反映されるだろう。
これまでの自分のHPの続いた期間を見てみると、7ヶ月スパンくらいでスランプに陥っている。本当に無意識にやってきたけれど、今回はこれだけ意識しているので、その壁を打ち破れればいいと思っている。「できるだけ軽く、負担なく」を心がけたつもりだ。そして、これからは「あまりハリキリすぎず、ぼちぼちといこう」と思っている。さてどうなることやら。
でも結局のところ、これらのホームページでの出来事は、私を如実に表しているのだ。 つまり、私は、枠から自由でありたい性質が突出している人間ということだ。何が原因なんだろう。有力なのは幼少期に転校が多かったこと。でもまだよくはわからないし、元々生まれ持った性質なのかもしれない。
ときどき考える。どこまでがその人固有の個性で、どこまでが、大体の人間に共通した反応なんだろうと。
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