世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
DiaryINDEX|past|will
おととい、新宿でジム・ジャームッシュの「オンリー・ラヴァーズ・レフト・アライヴ」を観てきた。
頭の中を三島に浸食されているものだから、何見ても聞いても、結びつけて考えちゃう。吸血鬼カップルの話で、男の吸血鬼は、もう生きているのが嫌でしようがない。ゾンビども(人間)が馬鹿でどうしようもないので、この先に希望なんか持てないって鬱々としてる、そういう感じとかね。
そのうえ、読み終えたばかりの「豊饒の海(一)春の海」には、主人公の清顕がそうと知らずに切子細工の小さなグラスで鼈(スッポン)の血を飲むシーンがあったのをまざまざと思い出しちゃった。 ワインだと思いこんでて、グッとあけてから、おや?と思って家の給仕に聞くと、鼈だと言われる。べつに不味くはなかったような書き方だったな。
家に帰ってから、買ってあったイタリアワイン、敢えて飲んでみた。エミリアロマーニャ州のサンジョヴェーゼ100%のやつね。 あんな映画観ちゃうと、ちょっと悪趣味気取ってみたくなるじゃない。だれも見てないから、100%自己満足ですけれども。
--
さて、昨年読んだ本のつづきです。
「ヴェネツィアの悪魔」(上・下)デヴィッド・ヒューソン(ランダムハウス講談社)
商店街の古本屋さんで上下各百円で買った文庫本。状態もカヴァーデザインもきれいだし、小説の舞台であるヴェネツィアのわかりやすい地図と登場人物の紹介が各巻頭に載っていて、親切至極。 18世紀と現代を章ごとに、交互に行ったり来たりするお話なので、登場人物は時代ごとにちゃんと分けて書いてあって、助かりました。
以前、ただ一度訪れたことのあるヴェネツィアのことを思い出しながら楽しめるミステリで、もちろん殺人や謎解きもあるけれど、それも恐がりのわたしでも大丈夫という程度。 ああ、あのホテルの部屋からみえた海の中に立つCAMPARIの看板、あそこはリド島の船着き場だったのか、などと今頃わかったり、最後のどんでん返しにアララーそうか、そうだったのかー、と一本とられてみたり。たまにこういう読書もいいなぁ!と思ったのでした。
「椎の木のほとり ある生涯の七つの場所6」辻邦生(中公文庫)
「ヴェネツィアの悪魔」と一緒に買った古書。こちらは320円でした。おわかりになりますか、このあたりの絶妙の値付け。決して100均には落とさないけれど、買いたい人にとっては安く感じられるギリギリの値段なんですよ。この本が100均の中に紛れていたりすると、安いとよろこぶ以前に悲しくなっちゃうでしょ、辻邦生ファンとしては。
以前はそんなに感じなかったのに、このごろ辻邦生の描く二十世紀の日本を読むと、これは地球に良く似ているけれど、実は別の星でおきたことを書いているのかなと思うことがある。少し昔の日本にはこういう美風が確かにあった、と以前は思っていたのだけど、最近はそれがちょっと信じられなくなってきているのだ。
たとえば、十代の若者がとっても大人。清く正しく理想に燃える、大人。こんな素晴らしい国って、どこの国? そういえば、辻邦生と三島由紀夫は同じ年に生まれているんだけれど、三島の書いたもの読んでも、ここまで泣きたくなるような美風って感じない。作風の違いと言ってしまえばそれまでだけど(いや、世界を認識する仕方がぜんぜん違うのだな)。
「ある生涯の七つの場所」シリーズには、日本の話と、日本以外の国(おもにヨーロッパ)の話がそれぞれいくつかづつ入っているのだけれど、この本に入っているのはスペイン内戦で精神的に荒廃するフランス人の話で、これは救いのない暗い話でした。こういう話にも、以前は暗いなりに意味を見出せたんだけれど、最近は単純にきついわーと思う。歳なのか。
「七つの場所」シリーズも、あと読んでいないのは「人形(プッペン)クリニック」だけかな。長年かかってばらっばらに読み継いできたのでわからなくなってしまった。 いままで読んだなかで好きだったのは「雪崩のくる日 ある生涯の七つの場所3」だけれど、いま読んでも同じ感想かどうか、わからない。
--
あと「虚無への供物」(上・下)と「安土往還記」だけなんだけど、疲れてきたので次回に続く。今回で最終回のつもりだったけれど(4)で最後にいたしますね。オヤスミナサイ。
|