世田谷日記 〜 「ハトマメ。」改称☆不定期更新
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2012年03月01日(木) |
ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち |
映画の日だったので、有楽町で「ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」を観てきました。映画の日だからか、平日にもかかわらずとても混んでいました。二時の回を観ようと思っていたけれど、もうあまり良い席が残っていなかったので次の回を観ることにして、お茶を飲んで時間をつぶしました。 こういう行動は以前のような生活をしていたら考えられないことで、なんだかすごーく贅沢な気分でした。 -- ピナ・バウシュの名前を知ったのは70年代の終わり頃、夕刊の文化欄に彼女の新しい作品に関する記事が載っているのを見つけたときだったと思う。なにやら前衛的なダンスカンパニーを率いる女の人がいるらしいというので、その記事をチョキチョキと切り抜いて、スクラップブックに大切に貼った覚えがあります。
今回映画でピナのダンスに触れて思ったのは、十代の私がこれを観ても理解不能。多分二十代でも三十代でもムリだった。もしかしたら五年前でもだめだったかも。「言葉に還元できないからこそダンスなのだ」と肚をくくって最初から言葉による理解を手放すことができたら良いのだけど、それは無理だったと思う…
それで、映画を観終わってから、ピナの記事を初めて切り抜いたときからずいぶん時が経ってしまったけれど、こちらに受け取る準備ができたときに、表現はちゃんと訪ねてきてくれるんだなーと、妙に納得をしたのでした。 ピナ・バウシュは2009年に亡くなっていますが、表現者の肉体は滅びても表現されたものはのこる、というわけです。この当たり前といえば当たり前のことに感動しました。
うまく言えないけれど、人はひとりひとり「自分自身という自然」を生きるのが本来なのだなぁ、と思いました。
↑次回上映を待つ間に食べたお菓子のセット。 ところがですね、現在わたしの口の中は、激しく歯科治療中なのです。なので石のように硬いビスコットは、コーヒーに浸してグジュッとさせてから食べました。二十年後を先取りですわ(泣泣)
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