じゃらの日記
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2006年11月20日(月) ない から始める議論の不毛

この国のシステム のあり方である。

一番初めに ん? と思ったのは
原子力発電所 の建設の話しだったと思う。
「原子力は絶対安全です。」
前提が間違っているのは明白なのに、
「絶対安全です。」から始まってしまったんだ。
だから事故対策を話し合うことすら出来ないし、もしかしたら事故対策という発想を持つこと自体が悪いことになってしまう。
これでは システム と言えやしない。
「事故は起きる」前提で
あらゆる可能性を検討しその対策について検証する。
出来ること と 出来ないこと を把握して、明らかにし、他の対処法を構築していく。
これが システム というものだ。

この国は、ありとあらゆる場面で、
同じ過ちを犯している。

教育にしたってしかり。
「いじめは絶対悪であり、起きてはならない事である」
は、まあよしとしよう。問題はそのあと。
「起きてはならないことだから、起きていない。」
こんな乱暴な帰結があるわけが無いのだけれど、
この国のメンタリティー 特に お役所 と呼ばれている集団のメンタリティーが導き出す結論は、いつもこうである。
だから起きたらどうするか の発想を持てず、ちゃんとしたシステムを組むことが出来ない。
議論が、一向に深まらない。
いじめによる自殺は ゼロ件である。なんて しゃあしゃあと言ってのける。


いじめが起きた場合
いじめたやつにどう対処するか
いじめられたやつをどうケアするか
クラスとしてどう指導していくのか
学校として・・・・・・・・。
そういう議論が起きる余地が無い。
これではとても システムとは 呼べない。

社保庁でも 同じ。

長崎県にいたっては
裏金を指摘して萎縮されては困るから
自助努力を信じてそのままにしておいた。
などという知事の発言まであった。

裏金はしてはいけないことなので
そもそも裏金自体が 無い なんていう風な発想をする人たちに向かって 自助努力って冗談としか思えん。(嘲)

この
「ない」から始まって構築されている砂上のシステムを根本から変えていかないと、
さらにずぶずぶと 取り返しのつかない場所にはまっていくばかりなのに。




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