2012年03月25日(日) ありがとう。さようなら。

今日 12年眺めていた風景にさようならを言いました。
そこが嫌いになったわけじゃない。
むしろそこは、あたしにとってとても特別で大事な場所。
今のあたしの思考の一部を強固なまでに作ってくれて
あたしを人として成長させてくれた場所。

でも
ずっと続けて行くことに不安を感じたりもしていた。
あたしはいつまでここにいるのかしらって。
責任感もやりがいも達成感も安息も得ることができるけれど
慣れた手触りのそれらを守り続けるには限界も近かった。

きっかけがなければ、あたしはそこを去ることができない。
だって、好きなんだもの。
好きだから、離れることができなかった。
けれど、好きだけではやっていけないこともある。
物理的な。体力的な問題で。

夏前に、その場所の仲間に「年度末でここを去ろうと思う」、とメールをした。
ずっとチームを組んでやってきた彼はすぐに電話をかけてきて言った。
「いてほしいけど、でも、高井ちゃんはよくやったよ。もう休んでいいと思う」。

その言葉にあたしが泣いてから半年が経ち
今日を迎えた。

いつになく念入りに身繕いをし
シャツに袖を通し、タイを絞める。
前髪をきっちりと留め、深呼吸。
どんな瞬間もアルカイックスマイルを崩さずに。
あたしは、ここで、育ててもらった。
まずそのことに、心からありがとうと言いたい。

ひとつひとつの動作は流れるように過去になる。
指先の感触ひとつ
鳴る音ひとつ
足を一歩踏み出す距離感ひとつ
匂いも 熱も すべて
あたしのセンサーはそれ仕様に冴えている。
当たり前だ
12年だもの。

終わりの時間を迎えると
年の離れた後輩たちが色紙をくれた。
もらえると思っていなかったからほんとうにうれしかった。
まだ若い彼女たちがくれた色紙はとにかくにぎやか。
やさしいお姉さん、と彼女たちは形容した。
うん
ありがとう。
あたしはそういうふうになりたかったんだ
今はもう去ってしまったけれど
昔あたしをかわいがってくれたやさしいお姉さんがいた。
あたしは、彼女みたいになりたかった。
「写真撮りましょうよ!」て囲んでくれて
なんだか気恥ずかしかった。

とても賢い彼女たちは、あたしが伝えたこと以上のことができるようになった。
あるいは、あたしがしていることを真似て覚えた。
背中を見られている、とわかっていたから
あたしは自分が手本となるように注意を払った。
ついておいで。君たちならできるはずだ。よく見て。よく考えて。
言わなくても彼女たちはそれを汲んだ。
偶然気付いたかのように褒めると、彼女たちが言う。
「高井さんがしていたから」。
それはあたしの成果ではなく、彼女たちの思考の成果。
気付いて動けたということ。
その考え方は、これから先彼女たちを必ず助けると信じている。

あたしを育ててくれてありがとう、と同じように。
あなたたちを育てさせてくれてありがとう、と思う。
好きにならせてくれてありがとう。
大事な子たちです、と胸を張って言わせてくれてありがとう。

そしてずっと一緒に戦ってきた仲間たち。
言い尽くせないほどの感謝。
支えてくれてありがとう。
言い合ったりしたこともあった。
でもそれがあったからこそチームになれた。
ほんとうにほんとうに、ありがとう。



帰宅して
ひとりになって
タイを解いた

ふと
彼氏さんのことを思った。
心のなかで呟く



あのね
あたし 今日
あの場所と別れたんだ。



そのとき
あたしは初めて泣いた。



さみしい。
さみしい。
さみしい。
さみしい。
さみしい。さみしい。さみしい。さみしい。さみしいよ。さみしいよ。
帰れない。もう帰れないんだ。
積み上げてきたものを
あたしはもう十分だと捨てた。
それはあたしの判断
でも、さみしいよ。すごくすごく、さみしいよ。
あたしにとって替えのきかないものだったんだもの。


でも
帰ってはいけない。
あの場所にいた以上の素敵なものを作らなければならない。
むずかしいけど、やらなければならないと思う。
前に進もう。前に進もう。
この喪失感と戦って、それが終わったら。
別の歩幅で前に進もう。

ありがとう。
ほんとうに。
ありがとう。