お菓子手帖 著者名 長野 まゆみ著 河出書房新社 2009年6月 昭和三十四年生まれの著者 幼少から馴染んできたお菓子や時代時代の出来事 文化史を織り交ぜて自分史的エッセイに仕上げている。 不二家のお菓子たちや、各社のキャラメル、チョコレート わたしも真似したくなって書いてみる。わたしが少額1年か2年の時に、アポロチョコが発売された。ストロベリークリームとチョコの尼僧になっていてもちろんあのロケット型をしていた。ストロベリーの部分がどんな味なのか?それまではそんなクリームが市販のチョコで味わったことがなかったわたしは美容室へ行くためのお金で我慢できずにアポロチョコを買ってしまって母にひどく叱られた。尼僧チョコはその後グリコからペロティという逸品が登場。当時はホワイトチョコの濃厚なミルクフレーバーにノックアウト。その後大人になって食べた時には妙な香料の匂いが花についた。 森永のチョコフレークは現在のそれよりずっと子叔母敷くおいしかったような気がする。コーンの香りとマイルドなミルクチョコ、今のはやはりチョコに妙なフレーバーを感じる。 エンゼルパイも昔の方がおいしかった。同じく今のは香料が強い気がするのだけど気のせいか? 確か不二家から発売されていたと思うのだけど、チェリーチョコというのがあった。台形のチョコの真ん中に洋酒漬けのチェリーが一粒入っていた。なんでこんな大人チックナチョコを親が黙って食べさせていたか疑問だ。包み紙はシルバーピンク。 一粒チョコといえばグリコのアーモンドチョコとか、叔父がパチンコでせしめてくる明治のアーモンドチョコが懐かしい。 けれど、チョコ好きのわたしが好んだのはチョコだけの一粒チョコ。不二家のメロディーとかグリコのセシル。グリコのセシルはCFもシックで季節感に溢れていて好きだった。 森永ハイクラウン 明治デュオなどパッケージが凝っていて大人のムードのチョコも登場。 鞄にしのばせておくだけで満足の品。 駄菓子屋で買った忘れられない逸品 ベビースターから発売されていたホワイトチョコ。いや本当に濃厚だったんだ、あのホワイトチョコは… ハーシーのチョコは叔母がアメリカ人と結婚していたため幼い頃から食べていた。 大味だ、匂いが変だだとかわたしの夫は文句を言うが、ハーシーは他の「チョコレート」とは違う、「ハーシーズ(Hershey's)」なんだから。一緒に考えてはいけない。中学2年頃からか、街中のちょっとしたお店にハーシーが並ぶようになった。叔母が買ってくれていた板状のミルクチョコやキスチョコはもちろん、それまで食べたことのないBIG BLOCK」というのがあった。厚みがある四角いブロックがいくつか連なっていた。食べ応え満点。
ハーシー同様70年代後半から輸入もののお菓子などが店頭に登場。 長野産が書かれているようにその空き箱やケースをファンシーグッズ風にペンケースや小物入れ風に工夫したことなど、わたしもやったよと懐かしく読んだ。 70年代半ばにサンリオからハンカチからペンケース布袋などスヌーピーグッズが大々的に登場してファンシーグッズに女史は踊らされることになる。その後のバブル時代にブランドを買いあさる新人類の布石が築かれたのはこの辺りからではなかったろうか? それまではファンシーなものとしてはトリコロールの旗の真ん中に可愛い少女が描かれた「フランスキャラメル」を食べずに鞄の中に潜ませていたり、携帯用の小さいメンソレータムの丸い観・も持ち歩いた。これも真ん中に可愛いナースの絵が描かれててキュートだったけど、まだあるんだろうか?そんなものを日常の雑貨から探し出すのも楽しかった。工夫と想像の余地がたくさんあった時代。 話をお菓子に戻そう。 70年代半ば、試験勉強のお供は森永ムーンライトというクッキー。シンプルにただ丸い形のバターの濃厚なクッキーだった。濃いブルーの地に月のように丸いクッキーが浮かんでいる不思議にムードのあるパッケージだった。CFにはわたしの定かでない記憶によると栗田ひろみというアイドル女優が出演していたと思う。当時、夜は本当に夜で闇が濃く、人々は夜間は声をひそめいよいよ深まっていくと町が沈黙した。そんな夜更け、紅茶にムーンライトという組み合わせはわたしをアリス的に不思議な國の鳥羽口にいるような気持ちにさせてくれたものだ。 ちゅっぱちゃっぷすの棒キャンディ、マッキントッシュのキットカットもこのころ登場した。キットカットは本当においしいと思った。ちゅっぱちゃっぷすも「もう大人なんだから棒キャンディなんか…」と母に叱られながらたくさんの種類からミルク系のものを好んで食べていた。レモンミルク、ストロベリーミルクなんかをね。棒の先に小さな球体のフォルムもキュート。 時代は前後するが小学生の頃、たぶん5−6年生のあたりだったと思う。クラス中で大流行した飴があった。ロッテの小梅」。梅干し味のキャンディだ。本当に甘めだが梅干しの味がした。塩の味が新鮮だった。 「小雪」「小夏」と林檎味夏みかん味の姉妹品もあった。 佐久間のいちごミルク、レモンミルクも流行ったのは言うまでもない。 キットカットが流行った頃、わたし的にはまったのはロッテのセイボリービスケット、キットカットと同じくマッキントッシュ社のゴールデントッフィー。金貨に見立てて金紙にくるんだ上からセロファンで包まれていた。濃厚なキャラメル。直径が大きいので口に入れると小さくなるまで話せない。いったん入れてしまうと大きさゆえに縦にも横にもできないのだ。横に入れると口の端が少し空いてよだれが出そうになるので音を立ててすすらなければならないという厄介な代物。しかしあの濃厚なキャラメル味にの誘惑には逆らえない。 セイボリービスケットはベーコン味スモーキーなフレーバーの大人なビスケット。今はもうないんだろうな… もうサンリオのキャラクターもちょっとこどもっぽいかな…と思っていると、70年代後半、ソニークリエイティブからパターンデザインやシックな色を基調にした文房具が登場。 お小遣いから少しずつ買い足していく。 学研ミクトリアからZIGGYという線画のキャラクターも登場。大人な色遣いと四角い鉛筆などそれまでにはなかったフォルムも。 とむ・ウィルソンという米国の新聞漫画家作のキャラクタとか。 だらだらと自己満足にノスタルジックに浸って書いてしまった。 なんか書き足りないけど、また今度書きたいな。
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