日々の泡

2008年12月27日(土) 願い

いつの頃からかお正月というものがわたしにとっってあまり意味のないものとなっていた。太陽の生まれ変わる冬至がひとつのマイルストーンとなった。
それは何ら宗教のようなものとは関わりなく、どこかわたしの芯の部分から感じるもので、だからもう新しい一年を過ごしている気分なのだ。
そう思うと、心なしか毎朝の太陽の光は力強く、エナジーに満ちている。
空気は研ぎ澄まされたように冷たく澄んでいる。
陽射しを浴びながら狩りに出かける猛禽類のように昂ぶりそうに生る気持ちを抑えている。静かに安定させること 昂ぶらないこと…
シンプルに明確に…
そんなことを呟きながら、新しい太陽を仰いでいる。

言葉はその人そのものだ。
毎朝挨拶を交わす人々。
わたしは彼らの顔を知らない。
触れたこともなく
名前すら知らない。
おはようございます
寒いですね
富士山が真っ白よ
お疲れ様でした
よいお歳を
様々な場所で それぞれの方向から聞こえてくるそれは
もはや「音」や「声」ではなく「言葉」でもない、それはその人そのものなのだ。
わたしとほんの瞬間関わろうとしてくれる「心が入り、時を分かち合う。
聞こえてくるそれはその人そのものだ。
言葉はその人そのものだ。
言葉はわたしそのものだ。
多くの人が鼻白むかもしれない「愛」という言葉について考える。
ニヒルな気分の時には果たして自分に
「愛」というものがあることすら信じられないことがある。
そんな時に思い出すのは 「愛とは反応することだ」という言葉。
思い出して、とりあえず反応してみる。
夫のひとりごとに
同僚のため息に
友人の世迷い言に
反応して応えているうちに
かたくなに閉じこもっていた空虚な部屋の扉が開かれて
心の底に滾々と何かが湧いてくるのが感じられる。
愛とは応えること。
応える為に言葉を使う。
言葉はわたしそのものだから
わたしは愛そのものなんだ。
何者でもない愛そのものだ。
きっと本当はそうなのだ。
わたしは本当のわたしに還りたい。


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茉莉夏 [MAIL]