わたしの手のひらには直径5センチほどの球がのっていて それはずっしりと重く その重さはまるで何かを伝えようとしているよう たくさんの光の粒子を内包していて ほのかな薄紫に柔らかく光っていることだろう… 「ことだろう…」なんて、曖昧なことしか言えないのは わたしがこのアメジストの球を見ることができないから。 それは目隠しされているとか 見ることを禁止されているとか そういうことではなく わたしにその光を感じるだけの視力がないから。 そのプリズムも 球の中に溶け込んだ紫のひとすじも わたしには見えないけれど その重さが伝えようとしている何かに 心を傾けることはできる。 それは わたしの心の中に浮かぶ 儚い泡のようなものでしかないかもしれないけれど シャボンの玉を楽しんだあの頃のように ひとつひとつ 色を 形を 楽しみながら 心に浮かぶ泡のひとつひとつを この日記に書き付けることにしよう…
茉莉夏という名前は 恐れ多くも、敬愛するトーベ・マリカ・ヤンソン氏と 森 茉莉氏からいただきました。 どうか、両女史、お許しください。 亡きおふたりの作品が わたしの泡の彩りを手伝ってくれています。 ありがとう。
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