はぐれ雲日記
DiaryINDEXpastwill


2005年09月03日(土) されこうべもなく通る

直会(なおらい)は神事のお祭りを行った後で
神様へお供えしたささげ物をおろして 皆で頂く酒宴を云います。

地域で言えば神社の秋、春のみこし祭りの後とか、
最近個人的にかかわったことと言えば地鎮祭、上棟式、落成式などの神事の後の酒宴。
といえばみなさんもお解かり頂けるでしょう。
一方、精進落としは喪中の期間が終わり(喪中は殺生を避け、
生き物を口にせず喪に服する)喪中明けに肉食する事を言うので
四十九日の法要と云えば仏教の儀式ですから、直会と云うよりも精進落しの
酒宴と云うべきでしたね。ただ今回は「精進おとし」などということばは若い大切な友人に
使いたくなかっただけなのです。ただそれだけの理由でした。

>関東のほうでは使うんでしょうな。
いいえ。使いません。神道だけ。こちらも同じく仏教での葬儀は精進おとしといいます。
神道の葬儀は何度か。・・・すでに子どもの頃にも参列した記憶があります。

ぺらぺらした人型のような白い紙を竹の枝のようなものにみなで結びつけるのですが
その紙がみぞれまじりの風に、はたはたひょうひょうとよるべなく舞うさまは亡くなった少女のようで
なんとも無情な、渺茫(びょうぼう)とした寂寥感を覚え、加えて言いあらわしようのない気持ちがこみあげてきて
大声をあげて我知らず走り出しそうになるような光景でした。

「○子ちゃんは死んでしまったんだよ・・・。」と母がつぶやくようにいうのも
いつか一度見た夢の中で聞いたことのようにわびしい思いで聞き、
夏にいっしょに遊んだこの年長の少女のお下げ髪のわけめが、ついと真っ白かったこと
端布でつぎはぎした短めのズボンをはいて、ゆっくりとした笑顔で振り向きつつ
「こっち。石につまずかんよう気いつけてなんしょ。」と
どこかの方言で学校帰りの夕暮れに近道を先導してくれた、
汗っかきのやさしげな女の子が、こんなぺらぺらの紙の人型になってしまったなんて
自分の立ってる足の芯が抜き取られたようなよるべなさを覚えました。
少女はてんかんでしたが発作で亡くなったのではなく打ち所が悪かったそうなのです。
今思い起こしてみますと自身の「実存の不安」のようなものは幼い頃からあるのですね。

ごく最近。二月にあった葬儀も 奥多摩でやはり ご宗旨は神道系でした。
こちらの葬儀は本流の天照大神ではなく邪宗門とか。


鈍角 |MAIL

My追加