はぐれ雲日記
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| 2005年08月14日(日) |
慶応大学 塚本太郎命 二十一歳。 |
回天(人間魚雷)を志願してフィリピン沖で散華した塚本太郎大尉(慶応大生)は レコードに吹き込んだ肉声で語りかける。
「幼い頃みんなで陽が暮れるまで遊んで、あの崖の下で転んで泣いたのは誰でしょうね。こうやってみんなと愉快にいつまでも暮らしたい。喧嘩したり争ったりしても心の中ではいつでも手を握りあって。然しぼくはこんなにも幸福な家族の一員である前に,日本人であることを忘れてはならないと思うんだ。」さらに
「年長けし人々よ,我等なき後の守りに,大東亜の建設に,白髪を染め,齢を天に返して 健闘せられよ。又幼き者よ,我等の屍をふみ越え銃剣を閃かして進め。日章旗を翻して 前進せよ。それではみなさんさようなら。元気で征きます!」
遊就館でこの青年の心の葛藤を聴くことができました。 聞き取りメモなのでまったく正確といいうわけには行きませんが。 ご冥福をお祈りいたします。 塚本太郎大尉(以前は少尉だったが今回は広告塔にされて二階級特進か)
九段の坂をダラダラと上がっていくと真っ黒な大鳥居がたたずむ威容。 そこはあたりとはまるで異なる空気が漂い黒く暗く重く沈んだような雰囲気です。 お宮参りや七五三、初詣に行くそこらの神社仏閣などとは全くわけが違う 天皇のための日帝軍国主義の犠牲となり戦って死んだ兵士を祀ってある。 気のせいか参道を通ったとき晴れているのに昼下がりの暖かさはなかった。この感じは いつか秩父のほうで見た風景、風が渡り見渡す限り全山の水子地蔵が無数に佇み いっせいに赤い花が廻っていた風景。渺茫とした青空と風があるのかカラカラ回る風車。 花と見えたのは真っ赤な地蔵のかざくるまだったのだ。 こんな寂しい風景をみたのはおそらく生まれてだったろう。あの青はまさに死の色だった。
参道をさらに奥に進むと大きな「菊の御紋」の扉が。重苦しさに思わず立ち竦む。 道路を渡ると「皇族下乗」と大書してあるが皇族はいつ参るのだろうか。
今上天皇が殿下であらせられたときに沖縄のかの地では猛暑に火炎瓶がおとも。 さきのサイパン行幸時では。生存者40余名の天国のコーラスがお出迎え。
海ゆかば 水漬くかばね 山行かば 草むすかばね 大君の 辺にこそ死なめ 顧みはせじ (大伴家持)
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