今日の、この日記は、書こうかどうか悩みましたが、 「何だが、ここ最近、しゅん、おかしいぞ」と、思っていた方もおられたと思います。 この日記はCU患者の日常と言う事で、病気以外にも、書いてきましたので・・・。 今日は父の事を・・・。
今日は9月27日です。
1ヶ月前の8月27日に父が亡くなりました。 67歳でした。
この1ヶ月間、いろいろありまして、やっと気持ちも落ち着きました。 心配して下さったみなさん、ありがとうございます。
もともと父は5年前に胆管がんで手術をし、 この5年間、癌と戦ってきました。 最後の1ヶ月は、かなり痛かったみたいですが、 痛い顔は見せずに、頑張っていました。
7月の終わりに、主治医から、抗がん剤が効いていないので、 あとは痛みを取るだけの治療になります・・・ と・・・父と2人で説明を受けて・・・それから1ヶ月で・・・
亡くなる前日まで父は1人で暮らしてました。 2番目の姉は毎日のように実家に行ってまして、 しゅんも弟も休みの日に実家に行く・・・って感じだったのですが・・・
8月26日(日) 仕事中に2番目の姉から仕事中に電話がありました。 「父が救急外来にかかったけど、痛み止めを処方されただけで・・・」 よほどの痛みだったのだろうと思いました。 で、今日は弟が実家に泊まる・・・と言う事になったみたいで、 しゅんは仕事終わって、実家に向かいました。
実家に行くと、父は布団で横になってました。 弟はいなかったので、父に聞いてみると、 一旦自宅に戻って、子供をお風呂に入れて来るみたいで・・・
暫くテレビを見ながら、ボーっとしていたのですが、 その間、父が二度トイレの為に起き上がり、 その後、21時半を過ぎていたので、 父に・・・ 「じゃ、もう帰るから、何かあったら電話してね。」 って言って、 父は、 「ありがとう。」 と言って、しゅんは実家を出ました。
それがしゅんにとって父の最後の言葉になってしまいました。
8月27日(月) 朝6時に、2番目の姉から電話がありました。 「夜中に父が救急車で運ばれて入院した・・・」と・・・。
その日、しゅんは、仕事で、 しかも18時に閉店してから、半期に一度の棚卸作業があるので、 仕事を休む訳にはいかなかったので、 「何かあったら電話して・・・」 って言って、出勤しました。
一日中、父の事が心配でしたが、棚卸の準備もあり、忙しくバタバタしていました。
18時に2番目の姉から電話があり、 今日は1番目の姉が病院に泊まって、父の看病をしてくれるとの事。 しかし18時50分に棚卸の作業中に1番目の姉から電話があり、 父が危篤状態になった・・・と。。。
店長には、事情を前々から話していたので、 早退させてもらい、病院に向かいました。 その間、妻に、父が危篤状態なので病院に行ってくれって連絡をし、 気持ちを落ちつかせながら運転し、病院に向かいました。
19時15分。 2番目の姉から泣きながら電話がありました。 「父が、今、亡くなった・・・」と・・・。
しゅん、嘘だろう・・・何かの間違いだろう・・・ と思いました。 父に会うまでは、亡くなったと言う事を、認めたくなかったのです。
19時40分、病院到着。急いで、病室に向かいます。
眠っているようでした。
泣くのをしゅんは、我慢しました。 ここでしゅんがしっかりしなくては・・・って思い・・・
お通夜・お葬式でも、喪主のしゅんがしっかりしなければ・・・って思い・・・
でも、最後の火葬場に向かう時は我慢できずに涙が出てきました。
いろんな事が思い出されます。
無事、葬儀も終わり、自宅のお風呂で、思いっきり泣いてしまいました。 布団の中でも涙が止まらなくて、妻も一緒に泣いてくれました。
翌日から、市役所にいろんな手続きに行ったり、 実家は、もともと借家だったので、片付けて、引き渡しをしなくてはならなくて、 いろいろ整理をしてました。 そしたら、25日(土)にスーパーで買い物をしたレシートが出てきました。 そのレシートを見たら、また涙がでてきました。 1週間分ぐらいの食材を買っていたのです。 亡くなる2日前に・・・
本人も自分が2日後に亡くなる・・・だなんて、思っていなかった訳で・・・ そう思うと、涙が止まりませんでした。
昨日、大家さんに、実家のカギを渡しました。
しゅんの実家は無くなってしまいました。。。 寂しいです。 この家で、6人、暮らしていたのですから・・・ いろいろな思い出があります。
妻は、この1ヶ月、しゅんを支えてくれました。 妻がそばにいてくれたから、この悲しみも乗り越えてきたと思います。
ありがとう。。。
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