こんばんは。しゅんです。(^-^)
今日は仕事お休みです。 休みでしたが、何も予定はなく・・・ 一日ボーっとしながら過ごしていました。(^^ゞ
せっかくの休みなのにね!
なので、今日は昔話。。。
しゅんがこの“潰瘍性大腸炎”に罹ったのは高校2年生の11月。 1993年の出来事でした。 もうずいぶん昔ですね。(^_^;)
翌年の1月から学校に復帰したのですが、 やはり学校生活を送っていく上で不安はありましたね。 授業中トイレに行きたくなったらどうしよう・・・ってね。
退院して一時期は良かったのですが、 次第にまた下血し始めてしまって、そんな中の通学は辛い物がありました。 発病する前は50分かけて自転車で通学してましたが、 さすがにそんな体力はなく、電車通学に切り替えました。
距離にして2駅です。
電車内は必ず一番先頭の車両に乗車。 何故かって? それはトイレのある車両だからなのです。 もう、この時から常にトイレの事は気にしながら生活してましたね。
駅の周辺には3つの高校があり、 電車内は通学の高校生でいつも満員です。 そう、降りる駅も一緒なので、いつも改札口が混雑します。 ここの駅は田舎のちっさな駅なので、自動改札なんてものはありません。 駅員さんに一人一人ずつ定期券を見せて、改札口を出ます。
なので、できるだけ急いで改札口まで行き、一番を狙って早歩きしてました。
駅から学校までは徒歩10分ぐらい。 途中国道を横断しなければならないのですが、 国道の横断歩道なので、赤信号の待ち時間が長いのです。
この徒歩10分の時に腹痛が襲ってきた事は何度もありますが、 運良く青信号でスムーズに横断できれば何とか学校まで我慢できるのですが、 これが運悪く、長い間赤信号に捕まって待つ事になったら、もう、脂汗ダラダラ状態です。
ホントこの時は、この病気を恨みました。 って言うより、この病気になった自分自身を恨みました。
みんなは友達と話ながら、信号待ちをしているのに、 どうしてしゅんだけ、こんな辛い目に合わないといけないの?って・・・(T_T) この病気はいつ腹痛が襲ってくるのか予測不可能なのです。 ましてや、潰瘍性大腸炎なりたてのしゅんにとってますますパ二クッてしまうのです。
信号を渡れば、学校まではもう少しで、 裏門(運動場側)を通って登校していたので、教室に入る前に、 運動場の外トイレに駆け込み、大腸クンと闘ってました。
この外トイレは何度も何度もお世話になりましたね。 しゅんの高校生活を語る上で、この外トイレは外せない存在ですね。
今日は日記の冒頭でボーっと過ごしてました。(^^ゞって書きましたが、 実はぶら〜っと車で、しゅんの出身校の高校まで行ってきました。 校内に入る事はしませんでしたが、外から校舎を眺めてました。
今日は、昔を思い出してました。(*^_^*)
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