2009年02月13日(金) |
叱られていた頃が懐かしい |
僕は歯医者になってこの4月で18年が経過し、19年目に突入します。おそらくほとんどの方は歯医者になって19年目を迎える僕を見れば決して若い歯医者であるとは思わないでしょう。ある程度の経験を積んだ中堅歯医者と見るのが普通ではないでしょうか。僕自身、毎日が必死で働いてきたつもりですが、気が付けばいつの間にか新人歯医者とは呼ばれなくなり、中堅どころのポジションにいたというのが実感です。
この年齢になり、改めて気が付いたことがあります。それは周囲の誰かが叱ってくれなくなったということです。僕が某歯科大学の学生時代、大学院時代、研修医時代には指導をしてくれる教官いました。その教官は時には優しく、時には厳しく接してくれました。厳しく接した際には雷を落とすようなことも多々ありました。その都度、僕は自分の未熟さを肌で感じ、落ち込んだり、精神的に塞がったこともあったものです。その時の悔しさをばねに必死に食いついていったことは昨日のことのように覚えています。
今はむしろ僕は後輩を指導する立場となりました。これまで僕が経験したように指導をしているわけですが、いつの間にか僕のことを真剣に考えて叱ってくれる存在がいなくなってきたことに気が付きました。 ある意味、これは精神的には気楽です。誰かに叱られないかビクビクしながら仕事をすることはないわけですから、叱られることによる精神的ストレスはほとんどありません。
その一方、心の中では自分を叱咤激励してくれる存在を求めている自分がいるのも事実です。今自分が行っていることが正しいことなのか?間違っているのか?誰も指摘してくれません。全ては自分が行った結果で知ることになります。自分でしたことを自分で判断する。これが今の僕の立場ですが、このモノ言わぬ判定は、一見すれば気楽なように思えますが、実際は大変怖いものです。自分が気が付かない間に判定が下され、評価される。自分の何気ない行動が自分の一生を左右することさえある、この怖さ。 この怖さに比べれば、叱咤激励時のお叱りなんて怖いものに入らない。そのことに気が付いたのはつい最近です。
“叱られているうちが華”ということを何度も耳にしたことがありますが、そのことを強く実感し、懐かしく思う、歯医者そうさんです。」
|