2009年01月09日(金) |
子供の名前に当て字は如何なものか? |
「目の玉が飛び出るくらいびっくりしたわよ。世も末かなとも思ったわ。」
嫁さんが僕に言ってきた言葉です。一体何事だろう?と思い尋ねてみると、何でも嫁さんが驚いていたのはあるテレビ番組で取り上げていたことのようでした。 街頭インタビューで16歳でママになって若者に子供の名前を尋ねていたそうですが、その際、子供の名前が“苺”という漢字で“ベリー”と呼ぶのだとか。 これには僕も驚きました。どう考えても“苺”で“ベリー”とは呼ぶことは非常に困難です。英語で苺はstrawberryですが、百歩譲っても“苺”から“ベリー”を想像することができるでしょうか?僕にはできません。
子供の名前に当て字を使うことは以前から少なからずあったように思いますが、最近はその傾向に拍車がかかっているように思います。僕自身、歯医者として小学校の定期検診や就学時検診、幼児の3歳児検診や1歳半検診に出務することが度々あるのですが、子供の名前を確認するのに必ずフリ仮名を見ないとわからないようなケースが多くなってきました。身内をみても、僕の従妹に子供がいるのですが、この子供の名前も当て字でして、漢字からは一体どういう名前なのか想像することは、おそらく誰もわからないと思います。
子供の名前は、親や親族が決めるもの。親や親族の子供へ託する夢、思いが名前に込められるのではないかと僕は理解しています。この夢、思いが漢字に当てはまらない場合があっても僕は構わないとは思います。 けれども、子供の名前を強引に漢字に当てはめようとする当て字は僕には理解できません。同じ当て字にするなら、ひらがなやカタカナにした方がいいのではないかと思うのです。ひらがなやカタカナにしたなら格好が悪いというのは、名づける者のワガママに過ぎないのではないでしょうか。 子供には自分の名前を決めることはできません。親が決めた名前で一生生きていく運命です。(法的には例外もあるようですが。)子供の名前に恥ずかしい名前は無いと信じたいですが、どうも当て字の名前には品格が無いものが多いように感じるのは僕だけでしょうか?当て字の名前に品格があるかどうかは、人それぞれ。価値観が違いと言えばそこまででしょう。ただ、同じ子供の名前をつけるなら、誰もが読むことができる、愛される、品格のある名前を名づけることを目指すべきではないのか?僕は子供の名前の当て字を見るたびにその思いを強くします。
こんなことを書くと、僕は既に古い世代の人間だと言われるかもしれませんね。
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