2007年05月08日(火) |
ヘアスタイルを変えるきっかけ 後編 |
昨日の日記からの続きです。
先日のある夜、呑み会が終わってからの帰宅途中のことでした。僕は満員電車に乗り込んだ僕は立って本を読んでいました。すると、何やら僕の肩を叩く音が聴こえました。振り返ってみると、ある男性の姿が目に入りました。それは僕の長年の友人H君。
「そうさん、久しぶりやな。」
当初、僕は肩を叩いた人が誰だかわかりませんでした。その訳は、H君のヘアスタイルが以前のものと全く変わっていたからです。
H君とはほぼ1年ぶりの再開でした。 これまでH君と1年以上会っていなかったことはありませんでした。お互い歯医者ではあったのですが、時間を作っては会っていた間柄だったのです。 それがどうしてご無沙汰になってしまったのか?それはH君の家庭の事情にありました。
実は、H君には二人の息子がいましたが、下の息子さんが昨年亡くなったのです。後でわかったことですが、下の息子さんは生まれた時から難病に冒され、余命いくばくも無いと医者から言われていたのだとか。H君は奥さんと共に必死に下の息子さんの闘病生活を支えていました。忙しい診療の合間に、入院先の病院に通い、下の息子さんを励まし、時には奥さんに代わって看病もしていたそうです。 ところが、人生とは時に酷なことがあるものです。H君の必死の思いは届かず、下の息子さんは鬼籍に入ったのでした。
突然の知らせを受けた僕は直ちにH君の下に駆けつけました。駆けつけた直後のH君は憔悴しきっていました。無理も無いことです。下の息子さんのことで積み重なった心労と受け入れがたい死に直面していたわけですから。僕はH君にかける言葉が見つかりませんでした。
御棺に納められたH君の息子さんの亡骸を見ました。すっかりと土色に変色していた小さな幼い亡骸を見て、僕は涙を止めることができませんでした。まだ2歳という幼さで鬼籍に入ってしまった運命。子供が親よりも先に逝ってしまった悲しさ。H君の無念を考えると、僕はH君に掛けてやる言葉がみつかりませんでした。
告別式の後、僕はH君に連絡を取ることを控えていました。本当なら直ぐにでも声をかけてやりたいと思っていたのですが、大切な子供を失った悲しみに打ちひしがれているH君にはしばらくはそっとしてやった方がいいと自分ながらに考えていたのです。
それから1年、ぼちぼちH君に声を掛けようかと思っていた矢先、僕は逆にH君から声を掛けられたというわけです。H君の明るい声は、僕を安心させてくれたのですが、僕がそれ以上に驚いたのがH君のヘアスタイルだったのです。
かつて、H君のヘアスタイルは五分刈りのようなヘアスタイルでした。学生時代から武道をやっていたH君はヘアスタイルが常に短かったのです。大学を卒業し、歯医者になってからもそのヘアスタイルをしていたのですが、久しぶりに会ったH君は髪の毛を伸ばし、パーマをかけ、カラーリングをしていたのです。その姿たるや、少し前に流行したぺ・ヨンジュンのようなヘアスタイル。
「お前、この髪の毛、どないしたんや?」 「どうや、似合うやろ?」 「カツラやウィッグやないやろうな?」 「正真正銘の地毛やで。ハッハッハ・・・」 と笑ったH君には勢いがありました。下の息子さんが亡くなったショックは完全には無くならないでしょうが、ある意味、精神的にふっきれるようなところがあったのです。
H君がどうしてヘアスタイルを変えたのか?本当の理由は未だわかりませんが、少なくとも子供さんが亡くなり、しばらく時間が経過してからヘアスタイルを変えたことは事実です。Hくんのヘアスタイルの変化とH君の子供の死が何らかの関係があると考えるのは自然なことだと思います。
自らヘアスタイルを変えることで、過去の自分とは違った自分を見せたい。自分を変えたい。大切な子供を失った悲しみから立ち直りたい。そんなH君の思いがヘアスタイルを変えることになったのでしょうか。それとも、不安定だった気持ちが落ち着いたため、気分を一新するためにヘアスタイルを変えたのでしょうか? 電車の中でH君が僕に見せた、以前と変わらない屈託の無い笑顔を思い起こすと、ヘアスタイルの変化とH君の生き方に何らかの関係があることは間違いのないことのように感じたのです。 ヘアスタイルとはそんな力があるものなのか?たかがヘアスタイル、されどヘアスタイル。 そんなことを思いながら家路を急いだ歯医者そうさん。
今回のゴールデンウィークのある日、僕は美容室に行きました。僕を担当する店長さんが尋ねてきました。
「そろそろイメージチェンジしてみますか?」 ヘアスタイルを変えてみるか再確認してきたのです。
先の提案からいろいろと考えをめぐらした僕が下した結論は
「もうしばらくこのままのヘアスタイルでお願いします。」
僕のヘアスタイルは当分、現状維持となりそうです。
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