2007年03月07日(水) |
国際結婚で思い出すこと |
女優の寺島しのぶが2月末に婚姻届を提出し、昨日記者会見を開いていました。結婚のお相手はフランス人とのこと。国際結婚ですね。 寺島しのぶは尾上菊五郎、富司純子夫妻の長女。梨園のお嬢さんであるわけですから、よくぞご両親が結婚を認めてくれたものだなあと思います。彼女の談によれば、フランス人の旦那さんとは仕事を通じて出会ったそうですが、アプローチは彼女からかなり積極的に行ったとのこと。一昨年秋ごろから交際をはじめ、今年の正月にはフランスはパリで一緒に過ごしていたとのこと。生活習慣や言葉の問題を乗り越え、よくぞゴールインできたものだと思います。寺島しのぶファンのそうさんとしては、彼女の結婚に心からお祝いの言葉を言いたいと思う今日この頃。
ところで、国際結婚と言えば、僕は二組のカップルを真っ先に思い出します。
「娘が琴欧洲と結婚するんです。」
昨年の秋のことでした。僕が週末に練習に参加している某アマチュアオーケストラで同じパートのNさんと話をしていた時のことでした。某アマチュアオーケストラの団長夫人でもあるNさん。Nさん夫妻は互いがクラシック音楽愛好家であったことから、今から20年前、お二人で地元にアマチュアオーケストラを立ち上げました。以降、夫婦で二人三脚で某アマチュアオーケストラを運営し、今日のように大きなアマチュアオーケストラに育てあげました。 Nさん夫妻には一人お嬢さんがいました。子供は親の背中を見て育つではありませんが、Nさんのお嬢さんもご両親の影響を受けたのでしょう。クラシック音楽好きであることから音楽家の道を歩まれたのです。某音楽大学を卒業後、プロのチェリストとしてヨーロッパへ渡り、活躍されています。 ヨーロッパで一人で渡ったNさんのお嬢さん。妙齢である彼女に彼氏ができるのは自然な話です。そんなお嬢さんのフィアンセが琴欧洲とは一体どういうことだろう?と思っていると、
「もちろん相撲取りではありませんよ。お相手の方がブルガリア出身の方なのですよ。」
何でもヨーロッパでの演奏活動中、某所でブルガリア人のフィアンセと出会い、親密に交際をし始め、結婚に至ったというのです。ちなみにフィアンセはヨーロッパのオーケストラのコントラバス奏者。 当初、Nさん夫妻は結婚には全面的に賛成ではなかったそうです。生まれた場所も育った環境も生活習慣も言葉も違う。そんな二人が果たして結婚をしてうまく生活していけるのであろうか?手塩にかけて育てた一人娘が全く見ず知らずの外国人の男性と結婚してしまう。期待よりも不安の方が大きかったといいます。実際は、お嬢さんの熱意に負けてしまい、結婚を認めたというのです。結婚式は昨年のクリスマスイブ。日本の某所で行われました。結婚式に参列した人の話によれば、国際結婚式らしく、結婚式はブルガリア語、ドイツ語、フランス語、英語、そして、大阪弁が飛び交う国際色豊かな結婚式だったとのこと。音楽家の結婚式らしく、アマチュアオーケストラの合奏や合唱、そして、新婚の二人が奏でる“六甲おろし”が場を盛り上げたそうです。
結婚式の後、婚姻届を出したそうですが、そこで問題が発生。旦那さんがブルガリア人ということで、地元市役所では婚姻届を当初受理しなかったそうなのです。どうも旦那さんがブルガリア人であることを証明する書類に不備があったようで、わざわざ東京のブルガリア大使館にまで出向いて証明書をもらった来なければならなかったとのこと。 国際結婚の大変さを物語る一つだと言えます。
もう一組の国際結婚のカップル。僕はある親父の患者さん夫婦を思い出します。 親父は歯医者ですが、歯医者になる前は某大学文学部英文科で英文学を専攻した変わった経歴を持っています。そのためでしょうか、大学病院に勤務時代、英語が話せるということで外国人の患者さんが来院した際にはその担当にさせられたようです。今でこそ多くの人が外国へ留学し、外国語に堪能な人も珍しくありませんが、親父が若かりし頃は親父のような英語が話せる歯医者は珍しく、大学病院では重宝がられていたようでした。 そんな親父が大学病院を辞め、開業した際、親父が担当していた外国人患者も多数うちの診療所で歯の治療を受けるようになりました。当時僕はまだ幼かったのですが、日本人ではない、外国の患者さんが時折うちの歯科医院を訪ねていたことが記憶に残っています。
何人かうちの歯科医院を受診された外国人患者さんの中にRさんご夫妻がいました。Rさんはイラン人、奥様が日本人で国際結婚カップル。当時、イスラム革命が起こる前で、イランはパーレビ王朝だったわけですが、Rさんは貿易関係の会社を立ち上げ、広く世界各地で商売をし成功を収めていたようです。仕事の関係で日本に立ち寄った際、奥さんに一目ぼれしたRさんは奥さんに積極的にアプローチ。その甲斐あってRさんはほどなく奥さんと付き合い、愛をはぐくみ、結婚されたのです。 Rさんは大学病院時代、親父の患者となり、日本を離れるまでの10年間、親父を頼りしばしばうちの歯科医院を訪れました。最初のうちはRさん一人だったのですが、そのうち日本人の奥さんも連れてこられるようになったのです。
順調に見えていたRさん夫妻ですが、突如Rさんに悲劇が訪れます。Rさんの母国イランでイスラム革命が起こったのです。権勢を振るっていたパーレビ国王が処刑され、イランに混乱が起こりました。海外に亡命していたホメイニ師がイランに帰国し、熱狂的に民衆に迎えられたニュースが今の僕の記憶にも残っています。このイスラム革命、Rさんにとっては大いなる脅威でした。Rさんのような実業家はイスラム政権にとっては目の敵のような存在。Rさんは母国イランに戻ることができなくなったのです。イスラム革命以降、Rさんはフランスに居を構え、そちらを中心に会社経営を営むようになったのだとか。日本人であるRさんの奥さんもご主人と一緒にフランスに渡り、以降10数年フランス暮らしが続いています。母国に戻れなくなったRさんをひたすら支え続け、Rさんが順調に仕事をし続けてこられたのは奥さんの内助の功があればこそではないかと思っています。
そんなRさんも現在80歳。奥さんからは今でも時々手紙をもらいますが、Rさんも体力が衰え、病院に入院しがちとのこと。 子供たちも独立し、現在は夫婦水入らずで過ごしているとのことです。うちの歯科医院に来られていた頃から仲睦まじかったRさん夫妻。今もその様子は変わってはいないとのこと。 国際結婚は日本人同士の結婚以上に苦労されることが多いかもしれませんが、そうした苦労を乗り越えられて作られた絆はゆるぎないものになっているようです。Rさん夫妻の話を聞く度に、人生の伴侶の良し悪しに国籍の違いは関係ないのかもしれないなあと改めて感じる歯医者そうさんです。
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