歯医者さんの一服
歯医者さんの一服日記

2006年05月10日(水) 窮屈な世の中になったなあ

昨夜、一日の診療が終わってからの時間帯に地元歯科医師会の主催で学校検診の説明会がありました。

一年に一度、市町村によっては一年に二度行っている所もありますが、幼稚園、小学校、中学校、高校では生徒を対象に歯科検診を行います。各学校には必ず学校歯科医と呼ばれる歯科医がいるわけですが、歯科検診は学校歯科医にとって非常に大切な仕事です。ところが、生徒数が少ない学校であるならばいざしらず、数多くの生徒を抱える学校の歯科検診を学校歯科医一人だけで行うのは大変です。学校歯科医が一人で検診を行う場合には、何日間かに分けて行いますが、様々な行事が行われる学校としては、歯科検診はできるだけ短時間で行ってほしいというのが本音です。そこで、学校歯科医としては、自分以外に検診を協力してくれる歯科医をどこからかお願いしなければいけないのです。そんな事情から、市町村の中には地元歯科医師会と委託契約を結び、学校検診に協力してくれる歯科医を地元歯科医師会の会員の歯医者の中から人選し、派遣してもらうような態勢をとっているところが多いのが実情です。
僕が住んでいる市においてもそうで、地元歯科医師会が音頭を取り、市内の各学校への検診協力歯科医の人選を行っています。僕も地元の小学校以外に他地区の小学校、中学校、高校の検診を手伝いに行っていますが、これも全て地元歯科医師会の指示によるものです。昨夜はそんな歯科検診を前にしての学校検診での約束事を確認する学校検診の説明会だったのです。

学校検診の説明会と言っても毎年同じ内容のことを確認するわけですが、今回の説明会では、担当の先生が興味深いことを話していました。それは個人情報保護法がらみのことでした。
これまで、学校で生徒が何らかの事故に遭い、学校から医療機関を受診する際、医療機関の担当医は、生徒に同伴している養護教員や他の職員の先生に対し、生徒の状態や治療内容について説明していたそうですが、昨年、個人情報保護法が施行されて以来、医療機関側が説明を渋る場合があったそうなのです。何でも、生徒の治療内容を説明するということは、生徒の個人情報を伝えることになる。その際、いくら学校の養護教員や職員であったとしても生徒の個人情報を伝えるということは個人情報保護法に抵触する可能性があるから問題だという指摘があったそうなのです。
昨年、そういったケースが何件かあったそうで対応を求められた学校や市の教育委員会は、事前に生徒たちの保護者に対し、学校内でのトラブルにより医療機関に受診せざるをえないような状況の場合、保護者の代わりに医療機関を受診することに同意するという内容の同意書を作成し、保護者に配布し、同意書に署名、捺印するように求めたそうなのです。時間がかかったそうですが、最終的に全ての生徒の保護者から同意書を得られたということで、今後は個人情報保護法のことは気にせず、学校側の付き添いの養護教員や職員に生徒たちの診療内容を説明してほしいということだったのです。

昨今、個人情報保護法の扱いについて様々な混乱を生じていることは皆さんもご存知のことと思います。これまで当たり前だと思っていたことや常識的なことだと思っていたこと、暗黙の了解があると解釈していたことなどが個人情報保護の観点から問題があると指摘を受け、多くの人々が過敏に反応してしまい、戸惑っているのが現状のようです。今回の学校検診がらみの同意書の件もまさしくそんな混乱の現場の一例だと言えるでしょう。

自分の子供が学校にいるということは、学校が親の代わりに預かっているということであるはずです。学校で生活をしている子供に何かトラブルが起きた際、学校の先生は親の代わりとして子供たちを世話する義務があるのは当然のことではないでしょうか?少なくともこれまではそうだったはずです。ところが、個人情報保護法は個人情報の保護の観点から、これまでのような暗黙の了解ともいうべき事項を許してくれない側面があるのです。いくら学校の教員であったとしても、生徒は他人である。他人である生徒の個人情報の取り扱いについては、生徒ならびに保護者の同意がなければならないのが個人情報保護法なのだとか。

結果的に生徒の親から同意書を得たということで、学校で生活している間、子供たちは先生が親代わりであるということが文書で明確になったということは評価されるべきことかもしれません。けれどもがお互いの信頼関係をいちいち文書で取り決め、明確化、明文化しないといけないものかということに関して、僕はどうも腑に落ちません。何かと世知辛い世の中になってきた今、人と人との人間関係がこれまでと同様に築きにくくなってきているのは事実かもしれませんが、個人情報保護法というのは本来の意味から逸脱して、人間関係の構築までもしにくくしている、妨げる面さえあるように思えてなりません。

人間関係というのは時には曖昧さ、ファジーさが許される、余裕のあるものではないかと僕は思うのです。決して人間関係を軽んじるというわけではありませんが、予期せぬことが生じ、臨機応変に対処しても人間関係の維持に何ら問題がない、そんな懐の深いものがこれまであったと思うのです。そんな曖昧さを一切排除しなければならないように追い込んでいるのが個人情報保護法のように思えてなりません。

何とも窮屈な、暮らしにくい世の中になってきたことを改めて感じた、歯医者そうさんです。


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