My life as a cat
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2017年09月26日(火) 献身の落とし穴

猫のことをあれこれ調べていて、たまたま見てしまった知恵袋の投稿に気が沈んだ。19年も生きている猫が痴呆症にかかって夜も鳴きどうしで自分はずっと不眠症だ。いけないと解っていても叩いてしまう。自分の時間もなくて介護ばかり。あと4匹猫がいるが処分してしまいたい云々。

「好きなことだけして生きよう」

みたいな本がわんさか書店に平積みされている今日この頃、この言葉は非常に正しいと思う。先日実家の17年生きた黒猫が死んだが、死ぬ寸前はまさにこの人の猫のような感じだった。しかし、母は"当たり前"といった顔でおむつを取り替え、毎晩お風呂で汚れた体を洗ってあげていた。母は言いたいことも言わず耐え忍ぶような人間ではないので、本当に当たり前だと思っていたのだと思う。むしろ死んでしまった時、手のかかる猫がいなくなって心にぽっかり穴があいてしまったらしい。

前者と母の違いは人間的な成熟度とかそういうんではなくて献身の精神か趣味かというところに尽きる。母に趣味を尋ねると

「家族」

と即答する。これは本当なのだと思う。献身の精神はないから、嫌いな料理はいい加減にやってるが、好きな庭仕事は庭師にでもなったほうがいいのではないかというくらい精をだす。母は家族のために本当にあれこれやってくれたが、そのために自分のやりたかったことを全部諦めたなどと言われたら家族は嫌な気持ちになっただろう。

世のため人のためという崇高な精神を持ってもやはり人は自分が思考の中心であるし、それでいいのだと思う。野良猫を助けたいなんて思う人間が、病気にかかったからといって猫を処分してしまったとしたら、一番苦しむのはその人自身となるだろう。責任感だけで物事を遂行するのは難しい。痴呆症の老猫の面倒を見なければということよりも自分がよく眠る道を模索したほうが人も猫もお互いに幸せなのではないだろうか。


Michelina |MAIL