My life as a cat
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2012年11月10日(土) 開拓時代




















1950年代、営業目的で訪れた東南アジアの小売店で、
「日本製品はとても人気が高いけれどあなたの会社は聞いたことがない」
と言われて怒りに震えた男がいた。男はホテルに戻るとその怒りを紙に全て書き殴り、決意した。絶対にこの国で有名になってみせると。国内で売れないものを海外で売ろうなんて・・・と言われた時代。しかし国内の景気の悪さから男は海外市場に目をつけた。そしてがむしゃらに自社製品を売り歩いた。

社報に掲載されていた元従業員の話だ。ホテルに備え付けの便箋に書き殴ったその怒りのメモも掲載されている。読めるような文字ではない本当の殴り書きにその激情が滲み出ていた。今まで取ってあったというのもその激情をスタートラインとして走り出したからだろう。東南アジアはいまではひとつの主流な輸出先だ。先人が必死で開拓した道。そこを歩く現従業員はどうだろう。海外の小売店で自社を知らないと言われ怒りに震えるほど自分の勤める会社に誇りを持っている人がどれだけいるだろうか。絶対ここで有名になってやるというほどの野望を持っている人がどれだけいるだろうか。時代が、とか、社会が、と言うのはあまり好きではないが、現代においてすでに開拓され尽くした感は否めなくて、こんなに熱い思いを持って仕事をすることが困難になっているというのは事実だろう。先人が汗水たらして舗装した道は余所見しながら歩いても、そう簡単に転ばない。真剣に歩いても向かうべき場所が見えてこない。わたし達はある意味で苦しい時代に生きていると思う。切り開くべき不毛な土地が沢山あり、切り開けば開くほどどんどん目に見えて豊かな土地が見えてくるという時代ではない。むしろ、わたしの時代はエコにリサイクルにスローライフというような開拓しすぎた土地を元に戻すような言葉に彩られている。20代、30代の働き盛りの若者が労働に夢中になれないのは彼らだけのせいではない。そんな時代しか知らないわたしは"開拓時代"などという言葉がとてつもなく眩しく思える時がある。


Michelina |MAIL