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2012年05月03日(木) |
いちばん大事なものはなんですか |
先日、男友達が立派な新居に招いてくれた。ルーフトップがあり、東京の摩天楼が一望できるアパートメントで、子供のいないカップルが暮らすにはうってつけだ。彼は30代前半のヨーロピアンで、スーパーリッチではないにしろ、こんなアパートメントで暮らせるのだからそれなりの財力がある。そして性格も見た目も良いのだからもてないわけがない。20代の頃は相当遊んでいただろうという雰囲気が話の節々に伺える。しかし、今の彼は孤独のどん底にいる。散々遊びほうけてきた彼がある日ある日本人の女の子にひとめぼれして、一夜にして結婚したいという結論に至ったのだ。相手は35歳で出産などを考えて年齢的にとても焦っていたこともあって、とんとん拍子に結婚や子供の計画が進んでいった。ところが、どうしてもお互いに譲れないところでズレが生じる。彼は奥さんが専業主婦になることが嫌で、彼女はどうしても専業主婦になりたいというのだ。話し合いは平行線をたどって、どちらも折れず、それでも彼は変わらず彼女が好きだったのだが、彼女の中では心変わりがあったのだろう。交際から半年が過ぎたある日、会社の同僚と飲んでいた彼がふと思い立って、連絡もせずふらりと彼女のアパートメントを訪ねると、中にはパジャマを着た彼女と、自分と同じブロンド・ブルーアイズの男がいたという。それが二人の終焉だった。
日本を愛して留学生としてやってきて10年が経ち、すっかりこの国に馴染んだと思っていた彼は、この一件で、どこまでいっても自分はこの国では外国人なのだと実感したそうだ。ただ女の子と遊びほうけていた時には文化の違いに悩むこともなかったが、いざ結婚を考えた時、初めて大きな壁にぶつかったのだろう。
欧米ではしっかりしたキャリアを持って自立した男性ほど、パートナーにもしっかりと自立して生きて欲しいと望む傾向にある。自分が仕事で忙しいから妻には家でしっかり家事をして欲しいなどというのは日本的であり、欧米人男性からこんな言葉を聞いたことは一度もない。しかし、わたしの年代の日本人女性は財力のある男性に養って欲しいという人が多い。いわゆる"セレブ婚"というのか。そしてセレブ婚を狙う女性達の中には、お金持ちの規模が違う欧米人を狙う人も多いようなのだ。そうして欲するものの噛み合わない男女がパーティで出会う。
「この間、仕事がらみの合コンパーティみたいのに行ったんだけど、もうジョークみたいだったわ。男はみんな金持ちで日本でちょっと遊んで母国に帰ってまともな女と結婚しようと思ってる欧米人で、女はみんな金持ちと結婚して外国に連れて行ってもらいたい日本人。俺は端っこで傍観してたけど、アホ同士の騙しあいみたいだったわ」
とは彼の話。どうしても専業主婦になりたいという人は日本人男性か欧米人でも嬉々としてsugar daddyになってくれるような性癖のある人をターゲットとしたほうが簡単なのでしょう。
わたしは最近思うところあって、これについてしみじみと考えた。わたしは家事が苦にならないし、料理はパッションだから、専業主婦になれば嬉々として役目をこなすだろう。欧米では家庭的なことなどこれといったウリにもならず、家事ができるからなどという理由でわたしに興味を持つ人もいなかったが、日本では違う。家事をきちんとこなすというだけで、いつも"良い奥さんになれる″と賛美され、料理を振舞うと男性に興味を持たれたりする。先日日本人男性と結婚して寿退社した元同僚を訪ねた。エプロンをしてピカピカのキッチンで真剣に料理に励む彼女は愛らしい新妻だった。フランス料理のフルコースのような料理にホームベーカリーで焼いた焼きたてのパンを振舞ってくれた。食後のコーヒーは旦那さんの役目のようだ。二人に新婚生活の感想を聞いてみると、妻は、旦那が外で稼いできてくれるのがとても幸せだといい、旦那は家に帰ると毎日レストランのフルコースのような食事が用意されているのがとても幸せだという。わたしが転職を考えていると話すと、″結婚は考えていないのか″と聞かれた。″もちろん考えているが、それとこれとは別問題だ″、と内心思ったが、解ってもらえる自信もないので、"それもいいわね〜"と適当に流してしまった。
彼らを訪ねた翌日、ひとめぼれ君と会った。この人ならきっとわたしを理解してくれると信じる気持ちがあって前日の出来事を話した。
「わたしはね、相手が働けなくなっても、わたしが家事ができなくなっても、それでもこの人と一緒にいればスペシャルな時間が作れるってお互い思えるような結婚をしたいよ」
と訴えると、彼が、"当ったり前だよ、それ以外に何があるのさ?″というような相槌を打つので、その瞬間彼を好きな気持ちはマックスに達し、発狂して抱きついてしまった(笑)。
その後しみじみと考えたのだ。わたしは専業主婦のような暮らしをしたことがあるので、それなりの孤独感も、社会で揉まれる必用のない安心感も知っている。また社会にでて働いていくことは、手厳しさの反面、自分の足で立っているという尊厳がある。だから絶対にどちらが良いとも言えない。しかし、世の中にはそれにこだわる人も沢山いて、わたしはそれが決してバカバカしいとは思わない。まず自分の欲する生活があるのならそれを手に入れることは大事だ。生活を愛せなければその生活の中心にいる人を愛することも難しくなるだろう。じゃぁ、わたしの男友達の話のように、お互いの欲するものがズレてしまったら? 一番大事なものはなにかと考えて、二番目以降は諦めるしかないじゃない。結局彼の元彼女は、彼自身よりも"専業主婦になること"のほうが大事だったのでしょう。
今日、"The lake house(邦題:イルマーレ)"という映画を観た。孤独な女医と孤独な建築家が時空を超えた文通で結ばれるストーリーで、背景の美しさとあらすじの面白さと裏腹にふたりの会話や関係にはこれといったひねりがなくて、あまりにもシンプルなのだけれど、こういうのってすごく良い。生活を共に出来ない相手が自分の心の大きな拠り所になっていくっていう感覚はよく解る。だって毎日会えるから心が通じるわけでもなくて、毎日会えないから心が通じないわけでもない。会えないからこそ相手のことをあれこれと想像して、その存在が自分の中で大きくなっていくというのもある。会ったこともないのに、お互いを深く信頼しあって"I love you"などと言えてしまう。純愛だなぁ。あぁ、やっぱり結婚はこういう恋愛の延長上にあるべきだってつくづく思いました。