DiaryINDEX|
past|
will
リビングルームに暖房器具がないことがさすがに少し辛く感じる寒い寒い冬の日。極寒の南極の冬にじっと身を寄せ合ってなんとか卵を守ろうとする強く健気な皇帝ペンギンの姿を思う。暖房器具を購入しないのは、厳しい自然にも打ち勝つことができる強い体が欲しいというささやかな願望なのだ。
昨夜、数年ぶりに再会した友人がお土産にくれたパンを齧りながら、古い古い映画"Awakenings"を観た。原題よりも邦題の"レナードの朝"のほうがよほど良い。植物を愛する心があるのに人付き合いは苦手な医師が、未知の病気のような分裂症の患者とともに、時に飛躍し、時に一進一退しながら、共に歩んでいくストーリーだ。口数は少なくとも、寡黙に熱心に患者を救おうとする医師、彼を信頼する患者、また彼の内面のあたたかさを理解して、密かに好意を寄せる看護婦、じわりじわりと人間の優しさが静かに胸に染み入るような映画だった。
買い物へ出ると、大通りに柴犬が車に轢かれて血まみれで横たわっていた。信号待ちしている間、通り過ぎる車に何度も何度も轢かれ、歩道の信号が青に変わる頃には犬の形ではなくなっていた。きっと数分前まで無邪気に走り回って遊んでいたに違いない。それがこんな薄暗く北風の吹き荒れる寒い冬の日に、冷たくなって跡形もなく消えてしまうなんて。生命は生を授かったと同時に死も授かっていて、必ずしも美しく死を迎えられるわけではない。むしろ痛んだり苦しんだり、美しくないほうが多いんだろう。わたしは決して暗い精神状態でそんなことを考えるわけではないけれど、やはり一人で暮らしているから、誰にも気付かれず孤独にここで死んでしまうようなこともあろうかと考える。不思議とそれが哀しいことだとか、そうはなりたくないとか、そういうふうには思わない。人生の真価は生きていく過程に見いだすものなのだろう。そう考えると、どんな姿で死ぬのであれ、その時は心だけは安らかでいたい、と日々の小さなことを大切に思うようになる。