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フライヤー、別れの手紙版もうすぐ出来ます。 せっかく映画も公開されたことですし、関連本のご紹介を。 アレイダ・マルチ著 わが夫、チェ・ゲバラ この本は去年、日本版が出版されました。 ゲバラの二度目の奥さん(最初はイルダという女性)で キューバ革命時、シエラマエストラ山で共に闘った女性です。 こんな男性と命がけで毎日共に闘えばそりゃ恋にも落ちます。 しかし、ゲバラがフィデルと道を別にし、キューバから去った時 彼女は子供達と残りました。(娘さんが去年来日したアレイダさん。 お母さんと同じ名前。息子のカミロさんはゲバラの親しい友人であった カミロ・シエンフェゴス(千の焔という意味だったような。航空事故で死亡)から付けた名前) その折、ゲバラは 「僕を待たないで欲しい。僕のコーヒーカップは他の人に使ってくれ」 と言ったそうです。 苦しいジャングルでの闘いの日々を共にし、遠くへ去った男性。 そして彼は生きて戻りませんでした。 遺骨さえも何十年の長い間隠され、発見されたのは最近の事。 アレイダはずっと何も語りませんでした。 子供達はそれぞれ父親のした事を語り継いだり、同じ医師の道へ進みました。 ゲバラに愛された女性が何を思いながら、残り沈黙を続けていたことか 考えるだけで胸が痛みます。 来日した娘さんは、母は何故一緒についていかなかったのだろうと悔やんでいたと 語っておられました。 そしてはじめて口頭で夫の想い出を書き綴ったのがこの本です。 その中で印象的な話がありました。 ゲバラは闘いの最中、腕を負傷したのですが、その時アレイダは 自分の黒い絹のスカーフを彼に渡しています。 ゲバラが腕を吊っている黒い布の写真がありますが、あれがそうです。 そのスカーフは今、ゲバラの遺骨と共に収められています。 娘さんも来日中白い絹のスカーフを首にかけていたように思います。 私がゲバラを調べていた時、いろいろ本など読んでみましたが、 その頃アレイダについて知る事が出来た事は、あまり多くありませんでした。 とても美しい女性であったこと、ズボラなゲバラに石けんを渡し、いろいろ世話を焼く姿 女性革命闘士として見られる姿の中にちらほら垣間見えたものが、 この本によってはっきり見えたような気がします。 ゲバラとアレイダの家族間のやり取りをずっと想像していたのですが、思った以上に 家族想いの愛情細やかな父親、夫であったようです。 更に息子として年老いた母親にもたれかかってうたた寝する写真がなんとも微笑ましい。 ラテンの男性はいくつになっても『ママ!』なんですね(笑) そんな男性が、命をかけて戦った同志でもある妻や子供達を置いて去るのはどんなに寂しかったでしょう。 手紙もたくさん書いていたようで書簡の書籍も出ています。 一度変装して家族へ会いに行ったゲバラが、まだ幼い娘に「おじさん、どうしてアルゼンチンなまりなの?」と 尋ねられ(ゲバラはアルゼンチン人です)た時、嬉しくもそのまま知らせず去りました。 私がもしアレイダだったらとても耐えられない。 その後ボリビアを最後に遺体さえ行方不明になりました。 衝撃的な遺体の写真だけがボリビア政府によって公開されただけ。 その時、ゲバラの遺体を洗ったり見に来た人達はその死に顔を見た瞬間 まるでイエスさまのようだと涙を流したそうです。 遺骨がようやく戻った時、前妻の娘イルディーダ(故人)がこう言いました。 「父は永遠に若く、希望となって人々の胸の中に生き続けるでしょう」と。 私はゲバラの最後の時、間違いなく、縛られた手でピーナツのスープを飲み干しながら 家族の食卓を思い出していたに違いないと思っています。 戸井十月さんのイゲラ村(最期の地)でのドキュメンタリーで ゲバラは最後まで生き残ろうとあがいていたと判明しました。 彼は絶対に家族やアレイダ、キューバのカストロの元へ戻ろうとしていたのに違いありません。 「撃て!君の前にいるのはただの男だ」と銃殺される前の有名なセリフがあるのですが 私は、皮肉(ゲバラは皮肉屋でした)と覚悟といろんな想いが 複雑に入り交じっていたのだろうなと思うばかりです。 アレイダ・マルチ 『わが夫、チェ・ゲバラ』 一度ぜひ読んでみて下さい。 闘いに激しく生きた男を支え、生涯愛した女性の記録です。
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