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2004年12月21日(火)
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組!のマイナスポイントを書く
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斎藤美奈子という主として文芸作品を対象にした批評家がいて、結構好きなんだけど。 五木寛之の『雨の日には車をみがいて』をあげつらった、もとい、に関して語っている文章がある。
車の描写と女の描写の区別が付かないということを彼女はこう言う。
車を女のメタファで語り、女を車のメタファで語る。 上品な五木先生はまさか「どっちも乗り物だからいっしょ」なんて下品なことは考えておられないにしても、「モノと女がワンセット」のカタログ小説は、右のような人と物との渾然一体感に味があります。 こういうのを「文学性」と錯覚する人も、多いのでしょうし。
・・・
毒のある揶揄。 本人が読んだらむかつくでしょーね。 でも、間違ってない。しかも、当たり前だけど、批判対象のものをちゃんと読んでる。
何が言いたいかというと、やっぱり組!話題に流れるんだけど。 年内はもうこれでいくことにしたので。いくところまで行きましょう。この際。 日記のファイルは一ヶ月1ファイルなんだけど、おそらく大きさでは今までで�癸韻砲覆蠅修Δ瞥輯供� これだけ書きまくるエネルギーをもうちょっと他のものに使えないのでしょうか。 発電とか。資産形成とか。
それはともかく。
最終回の今になってさえ、批判が批判の体をなしていないことに唖然とするわけさ。 このレベルのものをお金を出して読ませていいのか?!と。 他の記事のあれこれが皆信じられない。 信じようとはしていなかったにしても、活字中毒の傾向があるので、なんか、印刷してあるとそれだけで偉いような気になってしまうんだ。 だけど、ホントに。このレベルなのか?全てが?と、力が抜ける。
まず、一つ。 物事について語るのに、対象を見ないで言うのは無責任ではないのか? ドンキホーテの消防署検査以下です。 (指導をしてで、対応したとの書類を見て、で対応済を判断した。って、書類より現場見ろよ!)
井筒監督もさー。 49話のうちの1話しか見ないで、組!について話すな。 それは『新選組!○○話を見て』というコメントであって、組!を見てではない。 二時間の映画で途中の5分だけ見て出来不出来を語るのと同じ事で、作品作ってる人間として、失礼だと思わないのだろうか。
で、感想が『覇気がない。』と。 46話『東へ』を見たらしいが、負けて撤退するんだから、覇気があるわけね−よ。
新潮のレビューの3名も、ぜってぇ見てない!って感じだった。 ・原田や永倉、違う!、えっと山本太郎と山口智光などのお笑いを配置したことでコメディになってるとかなんだとか。 ふぅ・・・。書くなら見ろ。見ないなら書くな!
・重厚感がない。 多摩編しか見ていないんじゃ・・・。多摩って太平洋戦争中ですら疎開先。江戸時代は言わずもがな。 田舎の出で貧乏道場の20代の主の局長。副長に至っては流しの薬売り。重厚感があってどーする。
それにそれは好みであって批評じゃないようなー。
『アイドル大河』っていうレッテルもいまだに。 誰がアイドルなんだ−。局長?年齢的にもうアイドルって歳じゃないだろ−。 優香?別にフルに出てたわけでもないし。 それ以外には、オダギリとか?アイドルなのか彼は? 勘太郎?歌舞伎界のアイドルなのだろうか。ぐっさん?お笑い回のアイドル? 副長?ミュージカル界のアイドル?ガブローシュのこと?・・・違うと思うなー。
アイドルを蔑称的に使うこと自体なんだかなって感じだし、アイドル大河の定義を曖昧にしたままレッテルとして使い続けるという言葉に対する無神経さに、なんてゆーか、むかつく前に力が抜ける。もうええわ・・・と。
誰かきっちり批評してくれないだろうか? 時代劇サイトで毎週レビューしてくれている人のを読んでるので、その人の総括を待ってるんだけど。 大手メディアでそーゆーちゃんとしたのは出ないのか? 末期だな。
って、話が流れたついでに。私が思うところの組!のマイナスポイントを書く。 ざっと、4点。 1:やっぱり多摩編と鴨編は長すぎると思う。 2:演出がー。 3:勇のキャラ設定にむりがあったのか、ストーリーのつじつまがあってない。 4:公共放送の番組で一部マニア受けの話をするのはいかがなものか?
以下、いくらなんでも長くなりすぎたので、別枠にしました。
alain
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