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2003年07月29日(火)

『テニスの王子様』にはまる

いきなり!
何も『テニスの王子様』にはまらなくとも良さそうなものでして。
読むのは許そう。ビデオを借りまくるってどーよ。自分。

いつかは、着物を着こなすそそたる美人になるはず・・・と思っていたわけではないが。
そういえば、入社した時には、働いて3年目には年収一千万だとかいう噂があったなぁ。
そーしたら、港区か目黒区あたりの地下鉄直通の高層マンションとかで夜景を見ながら、安らぎの時間を持つのだなぁ。
アルマーニとか着ちゃおう。

はい。全くうわ言でした。
まず、一千万いってないし。
そもそも年収一千万程度で、都内の高層マンション買えないし。
アルマーニ買える事と似合うことは別問題だし。

だからと言って、だからと言って。
仕事帰りにTSUTAYAで『テニプリ』(← 略すあたりが一層やばい)のビデオを借りるって。
理想像とのあまりに乖離にわれにかえるとぼーぜん。
こんな私に誰がした。自分か。

楽しいからいいんだけど。ここんとこ顔がデフォルトで微笑モード。妙ににこやか。かなり変。
単純というか幼稚というか。なんて言えば良いのでしょう。もう自分にそっと目をつぶりたい。

えっと、もう突っ走ってアニメの感想も書くけど、結構漫画のイメージ崩さずに良く出来てると思う。
絵も漫画とあんまり違わないし、読みながら脳内で当てていた声とアニメの声がそんなに違わない。
菊丸先輩くらいかなー。私のイメージだともうちょっと細い声なんだ。
あと、手塚部長声渋すぎ。その渋さがいいんだけど。

不二周助かっこいー!とか、きゃーきゃー言いながら、見てる。
いーんだ。好きだからっ!今日も見るんだっ!(一人で逆切れ)

それにしても、少年漫画のヒーローって、今どんな存在なのかさっぱりわからん。
年寄りくさい言い方だけど、今の時代って、こんな救いの無いヒーロー像でOKなのだろうか?

何が言いたいかっつーと、主人公の越前リョーマに負の要素が全然ないってことが、すごく新鮮にみえた。
少女漫画や、少年漫画のサブキャラならわかるのだが、こういう設定の人物が主人公になってしまうんだぁーって、驚いた。

リョーマ君はまず、才能にあふれている。
アメリカのジュニア大会で優勝したテニスの腕前、中学校に入学早々、その才能を部内でも認められ、夏を待たずしてレギュラーを獲得。
にもかかわらず、かつての岡ひろみのように、先輩や同級生にやっかみを買うこともなく、可愛がられ憧れられる存在。
性格は生意気で、口も悪いがなぜか憎まれない。

外見も良し。少々ちびではあるけれど、中一ということを考えればさしたるマイナス要因にはならない。
帰国なので英語も話せる。
学校のシーンはほとんど出てこないが、別に"素行の悪い生徒"、やっかいもん、として扱われている様子もない。
"居場所がなかった〜"(一応ここであゆの歌が流れる。)というわけではなさそうである。

父親は天才テニスプレーヤーなので血統も良い。
父の才能を存分に受け継ぎ、特に父との間に乗り越えなければならない相克とやらもない。
夢を受け継ぐべく純粋培養された形跡もなく、保護依存のどろどろも無さそうである。

都内に住みながら、家にテニスコートを持つという設定に若干違和感は感じるが、ま、経済的には裕福、少なく見積もって問題はない家庭で育っている。

全くマイナスがない。
自分の一部を重ね合わせてカタルシスを得る存在がヒーローだとしたら、『テニスの王子様』のヒーローって読者にとって、全く救いがない。
リョーマくんは特権階級の人であり、手が届かない存在なのだ。

思いつく限りでスポーツ漫画を上げてみる。
まず、最早古典。明日のジョーと巨人の星。

二人とも才能はあれども、貧困。
貧しくってもがんばってのしあがる姿に自分を重ね合わせた70年代とでもいいましょうか。

その後ってあんまり、ぱっと頭に浮かばないんだけど、(そんなに詳しくないもんで)、はじめの一歩とか、キャプテン翼とか?
はじめの一歩って、確かいじめられっこが強くなる話だから、これも一定の読者の琴線に触れそうだ。
翼くんは才能もまわりの扱いも別格だったから、その点『テニプリ』に近いけど、でも彼は普通のサラリーマン家庭の息子で毛並みが優れているわけではない。
ライバル役の小次郎は、明日のジョー的な貧困を引きずっている。

スラムダンクは、何をやっても半端で、不完全燃焼の鬱屈を晴らしたい!という衝動を、万に1つの僥倖、"何と彼は天才バスケプレーヤーだったのです!" で、解消してすっきりする物語だ。
やはり、そこには主人公の抱える暗さ、それはおそらくコンプレックスからくる、がある。

ってな、主人公設定なら、青少年の支持を集める理由がわかるんだがー。
越前リョーマについては???だ。これを中学生はどー思って読んでいるんだろうか。

明日のジョーの時代、貧しい青年は心が正しくハンサムで颯爽としていた。お金持ちはひ弱で卑怯だった。
その構図が80年代にくずれた。
女も男も、経済的に恵まれて育っている方ががつがつしていなくて良い。という常識がはばを効かせだした。

成績優秀が青白いめがねくんという定式もなくなった。
ヤンキーが田舎者とnearly equalになった。

なんか、総取りなんだよね。
お金持ちで成績優秀、かっこよく心根もすがすがしく、スポーツの才能もあり、と、なるといじめられっこになるはずもない。女の子にも持てるだろう。

一極集中。一握りの勝ち組とほとんどの負け組。
経済評論だけでなく、少年雑誌読んでてそんな感想が出てきてしまう時代なのかぁーって思った。

その他大勢の冴えない負け組青少年はこの漫画を、楽しんでるのか?って、それが、すっごく疑問でした。というか、今も不思議。ボロ屋から、お城を仰ぎ見て、「綺麗だな〜。」と惚れ惚れ出来る、そんな分をわきまえた諦念がLow teenの頃からどっかり心に居座っているのだろうか?  わからんぜよ。

少女が同人誌ネタにする気持ちなら、良くわかるのだがな・・・。




alain

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