Leben雑記
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2006年02月13日(月) 社会的性差を無くそうとすることのひとつの意義として

社会的性差を無くそうとすることのひとつの意義として。


典型的反駁例:
 多くの女性は、そのことを表に出すか出さないかにかかわらず、男性のエスコートを期待するものらしい。たとえばそれは、デートの段取り決めであるとか、典型的なところではプロポーズをどちらかするかとか。このことは、女性の男性への受身的態度である、と言うことができるが、それよりもより的を得た表現は、女性の男性への依存であると言うことだろう。
 他者への働きかけは、どのようなものであれ、自身の希望と反する反応が相手から返ってくるかもしれないという不安が付きまとう。それは、望ましくないことなのだから、他者への働きかけはある意味リスクに他ならない。女性の受身的態度は、このリスク回避のためであると捉えるのが妥当だろう。
 それでいいのかな、女性諸君?
 余談だが、女性が気の変わりやすいものとして描写されるのも、実際は、男性とその点について差があるからというよりもむしろ、女性のほうがより男性からの働きかけを多く受ける構造があるため、男にとってはそのように見えるというだけの気がする。


あまり反感を買われないであろう反駁例:
 女性にとっては――無論それは男性にとってもだが――、男性からの提案に対して応える形で受身的に接し、付き合っていくことは、たしかに“楽”なことだろう。
そのような女性の性質を責める前に、こういうことは言えはしまいか。すなわち、男性の側からすると、あれこれと提案してくる女性よりも、自分の提案に対してマルバツで答えるような女性のほうが扱いやすいだけなのだ、と。つまり女性はこの点で、男にとっては非常に都合がよい。女性から、自分にとってクリティカルな批判をされたり、意見を言われたり……そういうことにヒステリックに怒り狂う男性がいたりするが、これはそのことのよい証拠だろう。
 つまり、ある種の男性からすると、女性というのは常に自身に影響を与えてくる存在であってはならず、せいぜい自分が相手に影響を与えるだけであり、また、そのような相互影響関係の希薄さが、むしろ二人の関係を安定にする、といえるだろう。
 であるから、新人類とでも言うべき、「軟弱な男」である、女性からの影響も自分が相手に与える影響と同程度に重視するタイプの男というのは、古風な女性には嫌われるが、むしろ前衛的で積極的で劇的である。なぜなら、そのような二人の関係は、相互に影響を与え合うために極めて不安定であるからだ。
 むろん、それこそが新たなタイプの男の求める関係なのだが……。

 2005年11月14日


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