K馬日記
サリュウラヴケーマ号とバリトンサックスの『ウエエ、ウエエ』なわだち
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2009年11月04日(水) I think ai is...

私が思うに、愛とは・・・

不思議なことに、決して永遠ではない。
生涯途切れることなくつづいていく愛というのは幻想だ。
「倦怠期」という言葉。
結婚しない人が増えている事実。
愛情が途切れたところで生活を放棄したくなるからだ、きっと。
一見永遠の愛に見えそうな結婚もあるが。
それはただきっかけがなかっただけであって。
きっかけがあれば今すぐにでも崩れてしまうような愛なのだ。
細々と愛情を引き延ばしていって。
結局死ぬまで一緒だった。
ある種の強力な魅力や誘惑でその細々とした愛情はいとも簡単に切れ、崩壊する。
ただ、その強力な何かに接触する機会がなかっただけ。
それがいわゆるオシドリの実状なのだ。
あるいは、社会的圧力が夫婦をオシドリたらしめている場合も。
あるいは、宗教的圧力。
たとえば、社会というものも宗教の呪縛というものもなしに、永遠の関係は築けるのだろうか。
必ずほころびを見せる時が来る。
キリスト教的友愛精神というのも嘘だ。
あれは神に縛られている。
そしてもし聖書に従うなら、人を愛するならば、他人を愛してはならない。
これは逆説でもなんでもない、人間全員を愛するためには他人を愛さないということなのだ。
それはキリストでさえも破っているし、誰しもがみな破っている。
時間的、空間的に普遍的な愛は決して存在しえない。

ただ。
ただ、ここに存在するのは真実の愛、のみである。
世間には盲目になってしまうほどの愛が多くある。
というよりも、みながうらやむそれはたいてい真実の愛なのだ。
永遠の愛を信じてやまないのは、多くのそれを見てきているからだ。
頭がある人でいっぱいになる、話したくても話せなくなる、つい目で追ってしまう。
それが本当の愛だ。
しかしそれは長続きはしない。
永遠になど決して続かない。
永遠の抱擁を求めるほどの愛がそれなのだ。
永遠の抱擁を求める一時の愛なのだ。
ひと時の真の愛の産物が新しい世代。
一時の愛を後世まで伝え残す。
メルトしそうな愛の結晶を私たちは体現している。
幾歳、幾年月、幾世代・・・。

本当の愛は。
目にフィルターがかかる。
相手のすべてがすべてになる。
私は彼女を見ている。
楽しく喋る声が鼓膜に響く。
それはまるでナイティンゲールのようで。
視線が合った時の瞳が網膜に焼きつく。
それはまるでメデューサのようで。



10数年後、メルトは冷え固まる。


いいか、それが愛だ。


多田K馬 /K馬への報告 /これ押すべし(≧ω≦)ノシ

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