K馬日記
サリュウラヴケーマ号とバリトンサックスの『ウエエ、ウエエ』なわだち
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今日、コンビニでジャンプの立ち読みしてたら。 障害をもった子供とその母親が入ってきたんですけど。 ものすごく幸せそうな母娘でした。 ぼくたちは(少なくともぼくの周りでは)障害をもつ人たちのことを可哀そうだとか評価する嫌いがあるけれど。 でも、そういう人たちだって普通に幸せなんだなって思いました。 むしろ普通に生きている人よりも全然幸せなのかもしれないです。 当たり前かもしれないけれど、やっぱりみんなちゃんと「生きて」います。 昔哲学ゾンビがどーだのこーだの言ってた自分が恥ずかしいです。 でも、こうした当たり前のことに気づけるっていう機会はなかなかないと思う。 今日は本当に偶然でした。
やっぱり幸せっていうのは出会いだと思う。 いろんな人に出会って、笑って、喧嘩して、感情を露呈しあうっていうか。 うちは単純な人間だから笑いかけられたらすぐに幸せっていうか、あったかい気持ちになるんだけど。 ほかの人もやっぱり同じだよね。 笑いかければきっと幸せ・・・ではないにしても、あったかい気持ちになってくれるんだと思う。
もう、自分の記憶ではないほどまで薄らいでしまった思い出だけど。 やっぱり、小学校とかで思いっきり上級生とか年上の人と遊ぶのっていい思い出だったと思う。 今度はうちが子どもたちにいい思い出を残してあげる番なんだなあって、この前の日曜日実感しました。 子どもたちは多分、うちと遊んだことなんて記憶に薄らいでいくだろうけど。 でも絶対にそこに幸せが在ったという事実は消えないんだね。 少なくともこっちが覚えてるんだもん。 それでさ、その子どもたちが大きく成長した時に。 こうした活動でまた世話する側になってくれたらうれしいよね。
こうして世界はうまくめぐっているんだよ、きっと。
多田K馬
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