K馬日記
サリュウラヴケーマ号とバリトンサックスの『ウエエ、ウエエ』なわだち
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2008年10月23日(木) 仮想現実

老後のことについて考えました。
年老いて、老人になっても会うことなんてあるのか?
って今日聞かれた。
学生時代には遊び合い。
働き盛りの頃は酒を飲み合い。
老後に物見遊山や温泉めぐる。
そんなことってあるの?
確かにそんなことは疑わしいのかもしれない。
そんなことを信じる人はめったにいないし。
だからこそ、そんなことはめったにない。
でも儒教ってすごく友人とか師匠を大事にするよね。
遠くにいる友には漢詩をしたため。
師匠には忠義に尽くす。
そんな儒教的観念に強く自分は影響されてるって自覚はある。
まあ、儒教をやったわけではないけど。
ただただ、ファンタジーな考えをもっているんデス。
映画とか、ドラマとか、漫画とか、小説とか。
様々な仮想現実に感化されすぎて。
仮想現実は現実で起こるものと思っている。
もはや自分の中ではSFを除くフィクションはフィクションではなく。
現実に「生きて」いる他者に対して、儒教的な、妄想的な要求をしてしまう。
親友は打ちのめされた自分を優しく包んでくれるし。
師匠は逆境にさからってでも自分を擁護してくれる。
時に通用したりしなかったり。
いや、儒教的人間が少なくなったと考えるのが妥当か。
ただ、恋人同士の愛というものは。
今も昔も変わらない、ように思います。
いつだって自分の一番大切なものに並び、追い越していく。
やはりそれは人間の欲求の根本であるからこそ。
時代にあまねく通用するものなのです。
しかし、友とか師とかは人間の本質的欲求と関係のない存在であるから。
時代を経るにつれて、その必要性が希薄になっていく。
それは民主化の拡大による自由の成立。
自由による人間関係の多角化で、大量で希薄なネットワークが促進されている。
その希薄は省略という観点でみれば。
やっぱり近代合理主義が何かしらの影響を受けているんだろう。
だからこそ、中世に想いを馳せる。

にゃもん。


多田K馬 /K馬への報告 /これ押すべし(≧ω≦)ノシ

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