K馬日記
サリュウラヴケーマ号とバリトンサックスの『ウエエ、ウエエ』なわだち
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2008年10月06日(月) 聖書的切り口

愛するということを教えましょう。
泣いている者には布をさしのべなさい。
困っている者には手をさしのべなさい。
悩んでいる者には心をさしのべなさい。
愛するということを教えましょう。
相手と毎日会いなさい。
会えない時は電報を送りなさい。
離れた時は手紙をしたためなさい。
相手を理解しなさい。
愛するということを教えましょう。
相手のすべてを包括しなさい。
そしたらば、決して離れてはならない。
どんなに恐ろしいものになっても。
どんなに汚れたものになっても。
どんなに世界に嫌われても。
あなた自身は決して離れてはなりません。
相手があなたを殺してもいとわぬ心をもちなさい。
愛するということを教えましょう。
相手にあなたを殺させることです。
そこまで受け入れなさい。
偉大なる魂の最後の腕を見なさい。
それが愛するということです。

現在、「愛」という感情は非常に狭義的に使われてきている。
突然キリスト教的見地で申しわけないが。
「博愛」という言葉を知れ。
そもそも本来、愛とは博いものであった。
どこにでも介在する好意的感情。
それこそが「愛」であった。
分け隔てなく愛するという概念が敷衍していた。
封建的勢力や大司教以上の宗教的権威はわからないが。
少なくとも一般民衆の間では。
そういう時代があった。
競争社会とは無縁の時代があった。
その当時、愛とは博愛のものであった。


多田K馬 /K馬への報告 /これ押すべし(≧ω≦)ノシ

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