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熱意 - 2007年12月10日(月)

自分には熱意が不足している、そう感じるようになった。
どのような熱意か・・・!?
こんなところに書くことではないけど、徒然と書いてみます。
興味ない方はスルーでお願いします。



わたしは、すべての人に対して自由であるが、
できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。
ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。
律法の下にある人には、わたし自身は律法の下にはないが、
律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。
律法のない人には――わたしは神の律法の外にあるのではなく、
キリストの律法の中にあるのだが――律法のない人のようになった。
律法のない人を得るためである。
弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。
すべての人に対しては、すべての人のようになった。
なんとかして幾人かを救うためである。

福音のために、わたしはどんな事でもする。
わたしも共に福音にあずかるためである。


新約聖書コリント人への第一の手紙9章20〜23節



大・・・・だいだいだいだいだいだい・・大伝道者のパウロさんの言葉です。
福音のために、わたしはどんな事でもする!!!
なんていう熱意だろう。自分の信仰の強さを誇らず、
全ての人を救うために自分もその人と同じ目線になろうとした。
パウロさんほどの大伝道者がこの低姿勢なのに、自分は何様だろう。
何か偉そうな自分がいる。




もういっちょ、最近心に響く言葉。


言うのも恥ずかしいことだが、わたしたちは弱すぎたのだ。
もしある人があえて誇るなら、わたしは愚か者になって言うが、わたしもあえて誇ろう。
彼らはヘブル人なのか。わたしもそうである。
彼らはイスラエル人なのか。わたしもそうである。
彼らはアブラハムの子孫なのか。わたしもそうである。
彼らはキリストの僕なのか。わたしは気が狂ったようになって言う、わたしは彼ら以上にそうである。


新約聖書コリント人への第二の手紙11章20〜23節



彼らはキリストの僕なのか。・・・わたしは彼ら以上にそうである!!
すごい。こんなにハッキリと断言できるなんてすごすぎる!!
果たして自分は断言できるだろうか。
彼ら以上に、キリストの僕である、と・・・!





他にもいろいろ目にとまる。
ヤコブが神の人(神様?)と組討した場面。
ヤコブさんは貪欲なまでに祝福を求めた、とずっと思っていた。
だけど最近少し違うように受け取るようになった。
ヤコブさんは相当苦しんだんだろう。
そして最後は孤独・・・必死の叫びが、
わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません!となって発せられたんじゃないだろうか。





なんだか。今の自分がいやで仕方ない。
ネガティブなんじゃなくて、ポジティブな思いと今いる環境とが反比例しすぎてイヤになる。
これってネガティブなのか?!(笑)




いやはや。つれづれ。


...




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