パウロ - 2007年04月15日(日) クリスチャンらしいことを徒然と。 知らない人からすると、何のこっちゃい?的な内容です。 キリスト教を語る上で欠かせない人、パウロ。 牧師によっては「パウロ先生」と呼ぶ方もいます。 初めはクリスチャンを迫害する側だったけど、 ダマスコ途上において復活したイエス・キリストに出会い回心。 その後は各地を伝道し、伝承によれば最後はローマで殉教したと伝えられる。 このパウロがいなければ、キリスト教は中東の一宗教で終わっていたかもしれない(学者の意見)とも言われます。 新約聖書の半分はパウロが書きました(手紙)。 最近聖書を読んでて、2つの箇所に目がとまった。 まず使徒行伝(使徒の働き)第20章24節。 しかし、わたしは自分の行程を走り終え、主イエスから賜った、 神のめぐみの福音をあかしする任務を果し得さえしたら、 このいのちは自分にとって、少しも惜しいとは思わない。 この箇所はパウロがエルサレムに戻る途中、ミレトという場所で語った言葉です。(56年頃?) もう1つの箇所は、テモテへの第二の手紙第4章6節〜7節。 わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。 わたしが世を去るべき時はきた。わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、 走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。 この箇所はパウロが牢屋で繋がれてる時に書いた手紙の一文です。 おそらくは死ぬ直前・・・64〜5年の頃だと思われます。 1つ目から2つ目までの期間、およそ10年。 「走るべき行程を走りつくし」と言い切れるほど走り、 「戦いをりっぱに戦いぬき」と言い切れるほど戦った。 選ばれた器ではあったけど・・・俺も見習いたい。 「信仰を守りとおした」と言える人生を歩みたい。 そんなことを、ふと考えた日曜の午後でした。 ...
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