殉教 - 2006年08月30日(水) 京都の鴨川。 三条、四条、五条・・・大きな通りが続く。 その先にあるのが正面通り。 正面通りと川端通りが交差する地に一つの碑が建てられている。 ![]() その昔、京都でもキリシタンに対する迫害が強かった。 徳川幕府2代将軍秀忠の時にその事件は起こった。 52名のクリスチャンが十字架に縛り付けられ、火あぶりの刑に処された。 この中には子供もいたそうです。。。 キリシタンじゃないと言えばすぐに逃げられるように、 縛りつけた縄はゆるくされていたらしい。 でも彼等は逃げることなく、キリシタンじゃないと言うこともせず。。 殉教したそうです。 そこまでして信仰を守り通すってすごくないですか?? この話をとある青年集会で聞いて、 京都に行った時は絶対行こうと決めていた。 処刑された河原はもう無くて、今はほとんど人目につかない碑が建ってるだけです。 そこでいろんなことを考えた。 今はキリシタン(=クリスチャン)と言っても処刑されることはない。 でもクリスチャン人口は増えない。何でか!!! それは語らないから。伝えないから。生ぬるい。 生ぬるかったら吐き出されちゃうよ!!!(黙示録) キリシタン殉教は教科書に載ってることだけど、 どこか他人事な気がしてたんだよね。 でも彼等も俺と同じ神さま信じてたんだよね。 うん。ごめん。まとまんないや。 もう一枚。 ![]() 新島襄さんのお墓です。 ここには彼の骨しかないけど、前から1度行ってみたかった。 哲学の道の終わり、若王子神社横の山道を登ること20分弱。 そこには左手に奥さん、右手に同志社創立当初を支えた宣教師のお墓に挟まれて、 新島襄さんのお墓があった。 近くには山本覚馬や徳富蘇峰のお墓もあった。 天国で今の同志社のことをどう思ってるんのかねぇ。 将来有望な若者を入試で落としたんですよ?(誰 あはは。 長げー日記だ。 充実した国内留学でした。 しばらく日記のネタは関西の話が続くかもカモ? ...
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