≪産経新聞産経抄引用開始≫ 早坂隆氏の『世界の日本人ジョーク集』に「スープに蠅が入っていたら?」というよくできた話がある。「問題なく蠅を食べる」という中国人など、各国の人々の反応をジョークとして取り上げている。中でも対比がおもしろいのが、米国人と日本人だ。 ▼米国人は「ボーイを呼び、コックを呼び…あげくに裁判沙汰となる」。一方の日本人は「自分だけに蠅が入っているのを確認してから、そっとボーイを呼びつける」。訴訟大国の米国と、なるべくなら争いごとを避けたい日本との風土の違いを示しているように思える。 ▼だが一昨日、最高裁で判決があった国歌斉唱時の起立をめぐる裁判を見ると、日本も訴訟大国になったのでは、と錯覚させる。東京だけでも国旗・国歌をめぐる同様の訴訟が24件も起きている。750人近い教職員がその当事者となっているというから、驚きである。 ▼自分の思想信条と合わない職務命令には従いたくない。聞こえはいいかもしれないが、普通の企業や組織ではそれは「わがまま」という。「蠅一匹で」とはいわないが、処罰を受けたら裁判に持ち込むというのなら、世の中訴訟だらけになってしまう。 ▼幸い、最高裁の判決では斉唱時の起立を求めた職務命令は思想、良心の自由を侵害せず、合憲と断じた。4年前、国歌のピアノ伴奏の命令も合憲となっている。司法としてこれ以上の判断はない。いいかげんに不毛な議論はやめ、命令に服したらいかがか。 ▼国難といわれる今、日本人は心をひとつにすべきときだ。それなのに、何百人もの先生たちが国旗や国歌に背を向けて裁判闘争にうつつを抜かす。日本を応援している外国人たちの目にどう映っていることだろう。 ≪引用終了≫
≪産経新聞主張引用開始≫ 国歌起立判決 「合憲」機に指導の徹底を 卒業式の国歌斉唱の際、東京都教育委員会の通達に基づき教職員に起立斉唱を命じた校長の職務命令について、最高裁が「思想、良心を直ちに制約するものではない」などとし、合憲の初判断を示した。 同様の訴訟は各地の裁判所で争われているが、最高裁判決として決着した意義は大きい。教育現場の正常化の大きな一歩と評価したい。 提訴したのは都立高校の元教諭で、平成16年春の卒業式に起立しなかったため戒告処分を受けた。これがもとで退職後の再雇用が認められず、都に損害賠償を求めていた。 都教委は15年秋から、教職員に対し、卒業式や入学式の国歌斉唱で国旗に向かって起立して斉唱するよう通達し、校長が職務命令を出している。しかし従わずに懲戒処分などを受け、処分取り消しなどを求める訴訟が20件以上、係争中だという。 不起立の教師側は「思想、良心の自由を保障した憲法19条に反する」などと主張している。これに対し19年、国歌斉唱のピアノ伴奏を命じた校長の職務命令を合憲とする最高裁判決が出ていた。今回は起立命令についても、合憲と判断された。 節目となる行事の国歌斉唱で、教師が座ったままの光景は保護者や生徒にどう映るか。こうした教師の行為は個人の政治的主張や感情を生徒らに押しつけるもので、教育の場では許されない。 今回の判決では、「国旗・国歌が強制的にではなく、自発的な敬愛の対象となるような環境を整えることが何よりも重要」という補足意見もあった。だが自然に敬うことを妨げる教師がいるからこそ、職務命令は出されている。補足意見を盾に「強制はいけない」と主張するなら筋違いだ。 学校現場ではこれまでにも、国旗掲揚や国歌斉唱に反対する一部教師に対し、校長らが苦労を重ねてきた。11年には広島県の校長が自殺する痛ましい事件が起き、これを契機に「国旗国歌法」が制定された。 大阪府では、国歌斉唱で教職員の起立を求める条例案も府議会で提案されている。国旗、国歌に敬意を払う国際的な礼儀を守らず、「憲法違反」だと言いつのる教師こそ問題なのである。教委は「合憲」判決を機に、改めて指導を徹底してもらいたい。 ≪引用終了≫
単なる職員だよな、これは。 教師、教える師とは呼べない! 何でも裁判すりゃいいってもんじゃない! アサヒがそれでも吠えてる!
|