俳優ユースケ・サンタマリア氏を個人的趣味で鑑賞...いえもと(改名しました)

こちらでは、ユースケ氏の出演作品の中から、後世に残したいとまで気に入った作品&ここまでこのドラマを食い入るように観てるのって私だけだろうと思ったドラマを、筆者が勝手に必要以上に評価させて頂いています。ネタバレ有です。
ドラマのあらすじを知りたくない方にはお勧めできません。
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鈍獣という優しい仕掛け人に振り回された、本当に鈍い彼ら(と、私) - 2009年05月21日(木)

「鈍獣」2009年5月16日〜公開

何だこれ?どゆこと?これは映画としては賛否両論だろうか。
これを普通に映画として面白がれるためには、まず、ちょっと私にはもっと技が要ったんだと思う。
二回観た。最初は妹と、次は母と。
それが正解だった。お陰で腑に落ちた。

真面目に考えすぎて表層的に一度だけ観ると、ラストで怒りにも似た落胆を覚えかけたけど、
いやちょっと待って、まずはその怒りを棚上げし、少し離れた所からもう一度よく考えてみると、ああ、楽しみ方は沢山ある。
してやられたのかもしれない。

でも何せ私は普段から、映画は真面目に真面目に考えて観る人間だ。
登場人物は実在の人物だと思って、彼らの人生とか心の動きとかにしっかり向き合って観たいほうだ。
なので、こんな映画には意味も無い分析を、つい、やってしまう。

だから、笑って見過ごしてあげられない部分が登場人物の内面に含まれていると、そこに食当たりしてしまい、
消化不良を起こしてしばらく苦しむはめになる。
厚く皮をむいて種をとってエキスを搾って栄養にするという手間をかけなきゃならないのか。
手間をかけると実は意外と、栄養摂れた。


(以下、かーなーり、ネタばれ。まだ観ていない人は読まないでください。)


一回目に観たときの、終盤、ハテナマークが駆け巡って茫漠としてた私の脳内で最初に思い浮かんだのは、以下の仮説。

「実は、あの、子どもの頃に列車に向かって行ったほうの西の凸川=浅野のデコヤンで、彼は本当はずっと生きていて、で、小説を書いてはいなくて、
でも最後に、岡本に問い詰められたときには、小説を書いている振りをしてみた。
その目的は、デコヤンになり済ましてでも江田と岡本に近づき関心を持ってもらいたかったから。
で、本当に小説を書いていたのは、あのとき逃げたほうのデコヤンで、それは浅野のデコヤンではなく別の場所にいて、本当に江田と岡本を憎んでいた。」
とかね。

でも↑
私のこの仮説は全く見当違い。大間違いだった。すぐ却下。
西の凸川と浅野のデコヤンはやはり別人だということは、
一、鉄橋の上で岡本が浅野デコヤンの乳首を確認したことを思い出してすぐ判明し、
二、あのとき実印を取りにきたデコヤンの行動を思い出すと、やっぱりおかしい。
と分かった。

んーー、と悩んでいたら、
一緒に観た妹の、とてもしっかりした解説で一旦納得した。

そっか、やっぱりあの、子どもの頃の西の凸川に私は生きていて欲しかったんだ。そんな願望のせいで私はすっきりしなかったんだ。
そこを振っ切って二回目は母と一緒に観た。
そしたら更に妹の解説に納得した。
予想外にも、母は、感涙していた。お伽話のようだったと感動していた。
そんな母の様子に再び私も気づかされたことが多々ある。

それにしても・・・。
デコヤンが鈍獣だなんて、とんでもない。鈍いのは、カラダだけだったのかー。
カラダだけが、鈍く頑強に変貌を遂げただけなのか。あの日の情けない自分に勝ちたくて。そして友達に認められたくて。

デコヤン、ホントは最初からわかってやってたんでしょ?
殺されかけてることも、わかってたんでしょ?だったら
実は誰よりも切れ者だ。知恵者だ。仕掛け人だ。
知っていながらしらばっくれてて、ウソツキで喰わせ者だ。俳優だ。そして大人だ。深い愛だ。ひねくれた贖罪だ。
可愛いけど、意地悪で知能犯だ。
だってあの速さでルービックキューブパズルの六面揃え完成だよ?

さんざん彼らの悪口書いておきながら、そこで得た金を友に贈ろうとしてた、なんてことも一例。
そこらへんが、カラダはともかくアタマが鈍いあの二人(と、私)には、一見、分かりづらい。
なんでこんなにひねくれた愛し方なんだろか?

デコヤンには勿論のこと、江田にも岡本にも順子ママにも、
素直に感情移入することが
私のような平凡な善人(笑)には到底できない相談だけれど、
一人一人、観ている分には相当面白いのは保証する。
デコヤン以上に、特に私は、江田に舌を巻く思いだった。小気味良いほど、あーっ、すごい存在感。
それに南野陽子にここまで笑わされるとは思ってなかった。

さて、ユースケ氏の岡本は、
ある程度、期待通り、喋りの間合いも表情も漫画だった。
場に醸し出された気まずい空気を浴びたときの反応が巧いー。
八の字眉の下の細目の、下衆な小心者の雰囲気。ポリシーも知性もかけらもない感じで視界に入ってくる。
どっか一歩、腰が引けてて、
そんな、ひょうきん且つ臆病者のスピリット。が、
最後の方(デコヤンを撃つところ)で、今までの様子とは違って、妙に冴えた冷たい、でも必死な顔も見せるんで、
そこが「ほおーっ・・・」って思った。
岡本がデコヤンの正体に先に気づき始めていた。江田よりも先に、岡本が・・・ねえ。
西の凸川の死因に一番深く関わる岡本ならではのジレンマ。
江田っちのことを誰よりも大切に思う心と、本当にデコヤン本人だったデコヤンを愛したい気持ちと、デコヤンを忘れて罪の意識から逃げてしまいたい心と。
発砲シーンでそれら全てが錯綜してた気がする。
(このシーンを観たときの漠然とした驚きを、私の中では流しそうになっていたが、
一緒に観た妹がその意外性を具体的に指摘してくれたので、よりはっきり記憶に残った)

鉄橋の上でデコヤンがまず、頑張って過去に勝って来たんだね。
ダンボール被って流血デコヤンの必死の「お仕舞い!?」の叫びに向き合って、いよいよデコヤンの真意を理解し受け入れた江田と岡本。
そして互いに許し合い認め合うのだった。
罪を共有した仲間であって、それと向き合い、その罪を乗り越えた仲間として。
その越えねばならぬハードルを、
自らと友達に対して、上手に設定したのはデコヤン。
いやー、遠回り過ぎ!でも、どんだけ大きな心だったんだろう。
いいねー。こうなったら、私も許す。

そんな大きな許容に至るまでの、それまでの、江田や岡本の、あんまりな程の心の鈍さを(鈍さゆえの非情さをも)
私は嗤うことはできない。私も同じだった。

私も鈍かったし、だから彼らのことをどこか冷たい目で見てたし(二回観た今は、ようやく分かったけどさ)。
それはある意味での憎まれ役を被った主人公の、
隠していた切ない愛と執着が、
もう尋常じゃなく非常に分かりにくかったせいだよ!
と責任転嫁して終わることにさせて欲しい。ああ、さすがに疲れた。そしてあとからぽろぽろ、笑えた・・・。


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