俳優ユースケ・サンタマリア氏を個人的趣味で鑑賞...いえもと(改名しました)

こちらでは、ユースケ氏の出演作品の中から、後世に残したいとまで気に入った作品&ここまでこのドラマを食い入るように観てるのって私だけだろうと思ったドラマを、筆者が勝手に必要以上に評価させて頂いています。ネタバレ有です。
ドラマのあらすじを知りたくない方にはお勧めできません。
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「生きる」テレビ朝日 市民課の渡辺さん亡きあと、がんばって欲しい木村さん - 2007年09月10日(月)

(昨日のドラマの録画を観るにも、私は勿論、二巡目以降には必要以上に「木村」さんに注目しています。そんな観方をする人は全国的にごく限られているわけですが、たとえどんなに台詞少ない友情出演でも)

「生きる」テレビ朝日 2007年9月9日放送(黒澤明監督作品「生きる」が原作。)

「渡辺勘治」を演じる松本幸四郎さんが素晴らしいのは言うまでもないけれど、
脇を固めている人々もうまい、豪華キャストーーー。
みんな自分の持ち場をきちんと守ったという印象。
調和。出すぎず。でもさりげなく個性も出ていて。
「木村」を演じるユースケ氏も。おさえ目控え目で、わきまえた匙加減が適切ですっごい良かった。

渡辺勘治という男は、
30年間の役所勤めの中でいつしか仕事への意欲も失い、死んだように過ごしていたのだが、
膵臓がん末期を宣告されたことをきっかけに、そして
小田切サチにスイッチを入れられて、
与えられた環境の中で見事に「生き」て死んでいった。
何もしない無難さと保身を何よりも重んじる柵の社会の中で、その壁を破り突き抜け、
真に他者のためになることをやり遂げた、
その命がけの仕事と死を通して、沢山の人間のスイッチを作動させた、わけだが。

勘治の職場の部下の中で、そんな勘治に対し最も強く敬意を抱き、それを持続することになった人物は、
観ているとどうも、木村、だと思う。

木村もまた他の課員と同様、現状を激変させてまで思い切ったことを言ったりやったりする勇気はない。
とはいうものの、勘治の死後、
勘治の心をいち早く理解し、大切に想い、動かされ、それをいつまでも忘れまいとしているのが木村。

★特に見逃せなかった木村の表情達

1、ナゾの無断欠勤が続いた後で突然役所に現れた勘治が、課のみんなを見回したときに、みな驚きの目で勘治を見つめたていたが、一人だけ、一瞬目を逸らしたのが木村。相手と目が合ってしまうことに対する躊躇、そんなしぐさに私は木村の気弱さとデリカシーと思いやりを感じた。

2、通夜の席で、助役達が帰った後でやっと「誰が何と言っても、あの公園を作ったのは渡辺さんです」と言えたのだが、すぐには賛同してもらえなくて黙ってしまった哀しそうな様子。弱い。負けてる。もうちょっと何か反論すれば良いのに。こんな、何も頼るもの縋るすべもなく心細いような顔、結構カワイイ。
ただ、そのあと課の斉藤が「今考えてみると、渡辺さんはご自分の病気を知っていたんじゃないか」と言い出して、話の流れに少しチカラ付けられた
ような木村の横顔が見えた。

3、せっかく、助役に直訴した勘治の努力がきっと効を奏したに違いないと信じる木村(弱々しいながら笑みも浮かべたのに)に、野口が
「全てを、君みたいに、『渡辺さんの熱意』で割り切ろうとするのは、センチメンタル過ぎる」と言った。が、
反論する木村。ようやくがんばって主張し始めた感。
「そうかなあ。(←ここの語調が良い。それに、ここだけ敬語を使ってない。)渡辺さんの熱意が通じないんなら、世の中闇ですよ。」と、やっとがんばって、静かな怒りを吐露してきた。 勘治のような真っ当な心をすんなりとは認めてくれない世間の矛盾への怒りとも言える。
こういう風な、感情のピアニッシモ〜メゾピアノ〜メゾフォルテに至る過程が上手だー。(ここで木村のフォルテシモはあえて無い。泣き叫んだりしない。それが良い)

4、それを野口に、からかい混じりに「ピュア」だとかわされても引かず、負けず、上目遣いの、「だって、あの姿、まるで、仕事だけで身体を支えてる、そんな風だったじゃないですか」と、勘治の一生懸命さを語る。その際に見られた、渡辺さんの為にこれだけは言わせてもらうぞー、みたいな強い表情。
新しくできた公園を、渡辺さんはまるで、育て上げた我が子のように見ていたのだ・・・と木村が語るときも、観ていてかなり感じた。木村は勘治を愛しているのは間違いない。こんなに勘治の心をわかってやれるのは恋人以上だ。結構恋っぽいような汗を伴う息遣いで台詞を吐いていたような木村。

5、死を覚悟した渡辺さんだったからあそこまでやれたのに違いない、とみんなが気づいた頃、「しかし、我々だって、いつポックリ死ぬか・・・」の台詞。限られた命なのは勘治も自分達も同じなのに、あんな立派な仕事を、果たしてやれるかやれないか。勘治だからできた。自分を含めて他の人間には、到底、やれるものではない。本当は明日を限りの命を思って仕事に取り組むべきなのに、できない、到底、渡辺さんにはかなわない。諦念とやりきれなさの混合ニュアンス。

6、でもそんな渡辺さんの思いに席上のみんなが思い至った頃は、木村はひたすら、故人への敬慕を遺影に捧げていた。この人、ホント誠実な顔をしている。娘を嫁にやるなら、こんな青年にだわ。

7、時が過ぎればまた以前と大して変わらない、ぬるく無気力な職場に戻ってしまった現実を目の当たりにして、虚しさ混じりの顔で帰宅する木村の交通手段は自転車。
そういえば木村は自転車通勤だった。似合うと思う。空気汚さないしエネルギーは人力だしということで、環境に優しい乗り物を選択してくれてありがたいことだ。娘を嫁にやるなら、こんな青年にだわ。


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