月に舞う桜
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遠い昔、恋愛対象として好きな人に「桜井さんは強いよね」と言われた。 強くいないと生きていけないから強く見せているだけだったので、そんなふうに言われて少なからずショックを受けた。そして、そのショックを自分でごまかすように、「いったい人の何を見てるんだよ、バーカバーカ」と心の中で悪態をついた。
私は、あの頃と何も変わっていないのではないだろうか。 つい先日も、人と話していて、「あ、いまの言葉と態度は絶対、私を明るくて前向きな人間だと思わせてしまっただろうな」と思うことがあり、自分をそう見せてしまったであろうことを後悔した。
明るく見せるのは悪いことではないし、嘘をついたということでもない。 けれど、偽りの自分を見せていることが、自分への裏切りに感じる。相手への罪悪感ではない。
平野啓一郎の言う「分人」も理解できなくはないけれど、私はやはり、いくつもある(かもしれない)分人の土台として確固たる個人があるという考え方を捨てきれない。 自分が納得した上で、意図的に、相手と場面に合わせた分人を見せることは構わない。けれど、自分の意に反して、「強くて明るくて前向きな私」を見せてしまうことは、私という個人(陳腐に言うなら、「私らしさ」)を蔑ろにしているように感じて、苦しい。
今日、お礼なんて言いたくないし、言わなくてもいい場面なのに、「ありがとう」を言ってしまった。 来年は、そういうことはやめたい。 リアルでそれがすぐには難しいなら、せめてネットでは、偽りの自分を見せるのはやめよう。
以前の職場で、私が居ない場所でのことだが、Aさんが「桜井さんは、天使みたい」と言ったところ、Bさんが「桜井さんは天使みたいじゃないよ?」と返してくれたらしい。 それを、あとになってBさんから聞いた。 私は、Aさんの言葉より、Bさんの言葉が、とてもとても嬉しかった。分かってくれる人は、分かってくれるのだ。
天使じゃないから、天使の衣は脱ぎ捨てよう。 そして、悪魔を見せるの。
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