月に舞う桜
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2021年12月15日(水) |
細く尖った凶器で、ガラスを突き刺されるような |
昨日の日記に、人生で初めてMRIを撮ったこと、検査はスムーズに進んだし先生もユニークで感じの良い人だったことを書いた。 12月14日の日記 けれど、実は、私の人生に象徴的な、嫌な思いもした。
検査後、看護師が私ではなく同行者に体を向けて、同行者の顔を見て、説明を始めた。注意事項の用紙も、私にではなく同行者のほうに差し出した。 患者は私なのだから私に説明してくれ、私に紙を見せてくれ……と意思表示するために、看護師の顔をがっつり見つめ、用紙を受け取るべく手を出し、少し食い気味に相槌を打った。そうしたら看護師は気づいてくれて、私の顔を見て話し、私に用紙を向けた。 それでも、そのあとも気分は穏やかにならず、ずっとわだかまり続けている。
たった一回そういうことがあったくらいでは、傷ついたりはしないだろう。 けれど、あれは数多のうちの一回だ。 障害者としての私の人生で、そういうことが無数に繰り返されてきた。これからも繰り返されるのだろう。
ああ、私の人生って、そうなんだなあ……と、改めて思い知らされた。
ひとめで、明らかに手足に障害があると分かる。でも、意思疎通や会話内容の理解が可能であることも、容易に分かるはずなのだ。 それでも、対等な意思疎通の相手として見なされないことが何度もある。
私が買い物するのに、同行者に「袋は必要ですか?」と聞く店員。 私が乗降介助してもらうのに、同行者に行き先を聞いたり待機場所を指示したりする駅員。 私が診察を受けるのに、同行者に説明する医療従事者。
そのたびに、同行者の方を向いている顔を見つめ、同行者が答えてしまう前に、言葉を返す。穏やかに、明るく、明瞭な声で。
どこ見てんだよ。 こっちを向けよ。 私と会話しろよ。 バカにしてるのかよ。 舐めるなよ。
そんな言葉や態度は飲み込んで、心の奥底に押さえつけて。
そう言えば、福祉職の人に一言の断りもなく体を触られ、動かされたこともあった。 (9月10日の日記参照)
幸い、運の良いことに、これまでの人生で、鈍器でガラスを叩き割るような差別には遭ったことがない。 けれど、細く尖った凶器でガラスの一定の箇所を何度も突き刺して削られるような経験は、嫌と言うほどある。 一度ならダメージがなくても、何千回、何万回と繰り返されれば、いずれガラスにひびが入って割れるだろう。 割れたら、元には戻せない。 割れる前に、削られてひびが入りかけた場所を修復できるのだろうか。
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