月に舞う桜

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2020年03月07日(土) 安楽死――優勝者ではなく予選敗退者を基準に

西智弘医師による幡野広志へのインタビュー(今日3/7まで無料公開)。
https://note.com/tnishi1/n/n4f43be96658b?fbclid=IwAR1UaPo7XOp-YimpQi2A23lEMmkLGdj3va0crQ5-hik8vyeI2-nSnARWeLs

この記事を読めて良かった。

耐えがたい苦痛の耐えがたさは本人にしか分からない。家族にも医療従事者にも分からない。なのに、処置の痛みが耐えられない中、医師に「明日の分もやりましょう」なんて気軽に言われて押し切られる。
これは私自身の未来でもあるかもしれないと思うと、それこそ耐えられない。

幡野さん
「最終的には医療者の裁量、それに家族の意見が加わって、患者が一番立場の弱い状態になる。本人の命なのに、本人が苦しんで。これがどうして何十年も続けられてきたのかが僕は理解できない」

「自殺を止めるときに『死んじゃだめだ』ってみんな言うけど、あれだってひとつも響きませんからね。本当に自殺止める気あんのかってくらい効果のない言葉。安楽死も同じで、もし僕が反対する立場になったとしても、こんな風には説得しないよな、って言葉ばかり。」

分かる。
私も、自殺や安楽死を「それはダメ」と否定する言葉で、納得の出来る、心に響く言葉に出会ったことがない。

幡野さんはツイッターで、こう言っている↓

「医療者が患者にやらせてる耐えがたい苦痛選手権は過去の優勝者とか大会記録とかを基準にしないで、予選落ちしたぐらいの選手(つまり患者)を基準にしてほしいんだよね。よく医療者のかたに「みんなが幡野さんみたいに強くないんですよ」みたいなことをいわれるんだけど、そこまでわかってるなら弱い選手(患者)を基準にしてよと審査員(医療者)にいいたい。がんばれる人はがんばれる、がんばれない人はがんばれない。健康な人だって病人だっておなじだ。」

医療だけでなく、社会システムのほとんどは優勝者を基準に作られている。
それ自体が、人を死にたくさせる。
弱い者を基準に安楽死を制度設計すれば、それがあることで安心感を得て、安楽死を望む人は逆に減るかもしれない。
そして、社会システム全てを弱い者基準にすれば、さらに安楽死希望者を減らせるかもしれない。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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