月に舞う桜
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3月3日に行った熊谷先生講演会の備忘録の続きです。 経験談や「〜してほしい」などの記述も含め、すべて熊谷先生のお話内容です(私自身の考えではなく)。
※その1は、こちら↓ http://www.enpitu.ne.jp/usr10/bin/day?id=105384&pg=20180305
<2>手足論と自己決定論 ●手足論・・・介助者は先回りせず、障害者の指示に従う手足となるべき ●自己決定論・・・いつ何をするかは、障害者本人が決める ↓ しかし、介助者が自己決定の原則を順守するあまり、障害者に際限なく自己決定を迫ると、かえって不自由になる。 =手足論と自己決定論の間にある矛盾
(経験例)入浴介助を頼んだら…… 介助者「どこから洗いますか?」 障害者「腕からお願いします」 介「右腕からにしますか、左腕からにしますか?」 障「右腕からお願いします(どっちでもいいけど……)」 介「分かりました。腕の付け根から洗いますか、指の先から洗いますか?」 障「じゃあ、指からで(どうでもいいけど……)」 介「どの指から洗いましょうか?」 障「……」
・そもそも、健常者は細かい行動について、いちいち意識的に自己決定せず、手足が勝手に動いているはず。 ・経験上、手足のように感じる介助者とは、細かい動作を勝手にやってくれて、要所要所で自己決定させてくれる人。 →要所は、人によっても障害によっても違うから難しい
●ベーシックレベル ・マクロな行為(例:このドラマが終わったら入浴する)→意識的・手動的 ・ミクロな行為(例:体を洗う)→無意識的・自動的 ⇒意識的・手動的におこなう行為の範囲を「ベーシックレベル」という
★ベーシックレベルだけ、自分で決めたい。あとは、いつもの通りに勝手にやってほしい。
※ベーシックレベルと、無意識行為との境界ラインは、人によっても障害によっても異なる(上記の「要所」と同様)
※共同研究者で自閉症当事者の綾屋紗月氏の場合(障害特性) ・細かい行動(ミクロな行為)も無意識的・自動的におこなえず、一つ一つ自己決定しなければならない。 ・ベーシックレベルの境界ラインが、健常者(多数派)より、かなり下(よりミクロな行為)のほうにある。
●自己決定と手足論の関係(自転車に乗っている子どもの例) ・まだふらふらしながら乗る子ども→自己決定が多く、自転車が手足になっていない ・スムーズに乗れる子ども→自己決定が少なく、自転車を手足のように扱っている
(続く)
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