月に舞う桜

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2017年10月06日(金) お話しました。

先日、小学校に行ってお話した。

休憩時間に子どもたちがわらわらと集まってきて、取り囲まれてびっくり。
私、決して子どもが嫌いなわけではないんだけど、一人っ子だし周りに子どもがいないので慣れてなく、子どもの相手をするのが得意ではない。子どもは接するより遠目に見るぐらいがちょうどいい、と思うタイプでして。
講演より、休憩時間に子供の相手(質問攻めにあったりとか)するほうが疲れたな……。

あと、最後に全体で「ありがとうございました」と言ってくれただけで礼儀は十分と思うんだけど、その上さらにクラス代表(?)の子たちが列をなして、一人ずつ「ありがとうございました」を言いに来た。ちょっと戸惑いつつ、内心「もういいよー、お気遣いなくー」だった。
何かこう、ああいうのってさ、「じゃあ、最後に代表者が順番に、桜井さんにお礼を言うことにしましょう!」って先生の指導(指示)があったんだろうなあ、と考えると、ちょっと気持ちが萎える。
子どもたちの様子からも「言わなきゃ感」がひしひし伝わってくるし。休憩時間に率先して集まって来たときの雰囲気とは全然違うもんね。
学校のやることって、なんか過剰なんだよね。子どもたちも私も、その過剰さを求めてないのに付き合わされてる感じ。

子どもたちよ、「お腹が空いた。早く帰らせて!」とか思ってごめん! 君たちも早く給食食べたかっただろうにね。

で、その列に並んだ最後の一人の挨拶が終わるまでニコニコ笑顔を絶やさないように気を付けながら、Toshlの握手会を思い出してた。
握手しながらちょっとでもお喋りしたいと思っちゃうけど、Toshlはこの何倍もの人数を相手しなきゃいけないんだから、さっさと立ち去るようにしないとな……なんてことを考えたのであった。

肝心の講演……講演と言うほどのものじゃないから、自分でこの言葉を使うのは気が引ける。何か他に適切な言葉がないかなあ。お話? 肝心のお話は、時間内にきっちり収まったし、子どもたちもちゃんと聴いてくれて質問の手もたくさん上がったし、まあうまくいったんじゃないだろうか。
「車椅子で生活していて一番困ることはどんなことですか?」という質問が、意外と一番困る……困るっていうのは語弊があるな。答えに迷うというか、ね。
子どもに「その質問が一番困ります」って言うのもなあ。大人だったら笑ってくれるかもしれないけど。
車椅子で生活していて困ることや大変なことはいろいろあるけど、どれも質問への答えとしては自分の中でピンと来ないんだよなあ。瞬時にめっちゃいろいろ考えを巡らせた挙句、だいたいいつも「生活に時間がかかること」って答えてる。

あとね、いろいろな立場の当事者の話を聴く授業はとても大事だし良い取り組みだと思うんだけど、じゃあ学校の中で本当にちゃんと一人一人が尊重されているのかなっていうのは気になるところだよね。
先生たちは丁寧に対応してくれて、お礼も言ってくれるし、「ぜひ今後もこういう授業をしていきたい」とも言っている。もちろん、その気持ちは本物なんだろうけれど、その一方で、職員間のいじめや待遇格差があるんだろうなとか、学校内で嫌な思いをしてる子どもがいてもすぐ対応してもらえなかったりもするんだろうなとか、どうしても考えてしまう。
決して、今回行った学校に何か問題があるんじゃないかと感じたわけではなくて、一般的にね。
子どもたちには「いじめはダメ」とか「みんな平等」とか「困ってる人がいたら助けましょう」とか言うけど、先生は、例えば先生以外の職種の人たち(事務員さんとか用務員さんとか)に高圧的な態度を取ったりはしてないよね? とか思っちゃう(実際、友達からそういう話を聞いたことがあるもので)。

まあ、何はともあれ、子どものうちからこうやっていろんな立場の人の話を聴くことは大事よね、うん。


桜井弓月 |TwitterFacebook


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